M叔父さん、ありがとう・・・ [言葉の花束]
叔父のお通夜・告別式に行ってきた。
亡くなった叔父は、母のすぐ下の妹の連れ合い。84歳だった。
斎場に着いて目に飛び込んできた叔父の遺影は、片手にパイプを持ったポーズの写真で
目を細めて笑っている、実にM叔父らしいものだった。
叔母の姿も見えた。途端に涙が溢れてきた。
叔母がやってきて私の肩を抱き、耳元でこう言った。
「泣くなPekoちゃん!この叔母さんが泣いてないんだから。」
しょっぱな、怒られてしまった。
とっても勝気で負けん気の強いこの叔母は、人に弱味を見せたりは絶対にしないのだ。
パーキンソン病と認知症とで自宅での世話が困難になり介護施設に入ってから1年7カ月・・・
施設に入所するまでにも胃がんの手術や転倒による骨折(大腿骨2度・手首2度)などで、
何度か手術をしてきた叔父。
その時には医者も驚くほどの驚異の回復力で立ち直ってきたのだが・・・。
入所後、飲み込む力もなくなり胃ろうとなってからは
発熱や肺炎で病院と施設との行ったり来たりを繰り返していた。
叔母は今回の肺炎でもまた今までのように回復して施設に戻れると思っていた。
が、容体は急変した。
叔父の生命力も限界にきてたようだ。
最期は苦しむこともなく、眠るように旅立っていったそうだ。
お通夜も告別式も、近親者だけの家族葬のようなものだった。
もしもの時にはそうしたいと、叔母は以前から言っていた。
が、75歳までTV&広告業界でバリバリ働いてきた叔父なので
それだけで済ますわけにもいかず、仕事・会社関係の人たちとは後日お別れ会をするそうだ。
この叔父叔母には私たち甥や姪も多くが世話になり、関西や四国からも駆けつけた。
私の兄も実家の代表として田舎から駆けつけた。
皆それぞれに叔父との思い出があり、通夜ぶるまいの席では次から次にいろんな話が出て
とてもお通夜とは思えないほど賑やかなものになった。
賑やかにしていたのは私の兄と姉だったかもしれないが・・・^^;
叔母は 「パパは賑やかなのが好きだったから、喜んでるわ。」 と言ってくれたが
母にそのことを伝えると、「叔父さん、びっくりしたんじゃないの!?」 と母は言った。
私も叔父には可愛がってもらったので、いろんな思い出がある。
特に寮生活をしていた学生時代にはいろんな所に連れて行ってもらってご馳走になった。
六本木瀬里奈で鉄板焼きステーキをごちそうになったり、赤プリのバーに連れてってもらったり
横浜中華街やニンニクたっぷりの韓国焼肉屋さん、美味しい美味しい手打ちうどんのお店などなど・・・
カウンターでお寿司を初めて食べたのも叔父に連れてってもらったお寿司屋さんだった。
実家が坂の上と下、お隣同士のようなものだった叔父と叔母。
叔母の二人の兄とも幼馴染みの仲良しで、しょっちゅう一緒に遊んでいたそうだ。
その伯父たちと遊びながらも、その頃から叔母を嫁にすると決めていた叔父。
叔母がまだ小学生の頃だ。(笑)
そんな話を叔父からは何度も聞かされた。というよりも、その話がおもしろいから私が何度も言わせたのかも。(^^ゞ
私から見ても、叔母のことが可愛くてしょうがないという感じがいつもしていた。
2年ほど前、私が遊びに行った時、言葉が思うようには出なくなっていた叔父が
しきりに私に見せたい写真があると言って、アルバムを探し始めた。
叔母にも、もちろん私にも、何の写真なんだか、どのアルバムなんだかわからずに
次から次にこれでもないこれでもない・・・と探す中、叔父が「これだ!」と言って
私に見せてくれた一冊のアルバム。
それは新婚当時の、初々しくも本当にチャーミングな叔母が写ったアルバムだった。
目を細めて自慢げにそのアルバムを私に見せてくれた叔父。
私は見せてもらった後、「ごちそうさまでした!^^」と言った。
叔父はますますその目を細めて満足そうにしていた。
兵庫県に住む叔父(鎌倉叔母の下の妹の連れ合い)のお葬式の時には
M叔父の車椅子での移動介助などを手伝った。
葬儀が終わった後も、私はしばらくM叔父たちと時間を過ごし、そこでも食事をご馳走になった。
食後、会計を済ませに行った叔母を待ってる間に叔父が私につぶやいた言葉が私は忘れられない。
「人生って、きついもんだなぁ・・・」
業界の第一線で活躍してきた叔父から初めて聞く弱音・・・
いろんなことができなくなっていく、うまく喋ることもできなくなっていくもどかしさと
叔父はどんなに悔しい思いで闘ってきたのか・・・
胸がしめつけられる思いであった。
介護施設に入ってからは、叔母に会いに何度か鎌倉に出かけて行ったが
叔母からの話を聞くだけで、叔父には会わないままとなってしまったけれど・・・。
そんな思い出がいろいろとあったが、しょっぱな叔母に「泣くな!」と怒られてしまったので
皆の前で叔父の話をするのはやめた。
話せば絶対にまた泣いてしまうから。
お通夜の夜は、一緒に夜伽をするべく姉と相談して泊りの支度をしていったのだが
その夜は一人息子である長男が付き添って、男同士の会話をすると言う。
私と姉は、兄や兵庫の叔母と一緒に斎場近くのホテルを取ってくれるというのでそこに泊った。
前日に自宅で一晩叔父の添い寝をした叔母は、
お通夜の夜は長男に任せて、その嫁と19歳の孫(男子)とで自宅に戻って身体を休めた。
叔母の長男家族は名古屋に住んでいる。
なので施設入所までの叔父の介護は叔母が一人で頑張った。
本当によく頑張ったと思う。
そんな中で叔母は、徐々に徐々に何度も何度も覚悟を決めていったのだろう。
かなりの修羅場もあったと聞かされた。
でも叔母が倒れたりすることがなくて、本当に良かったと心から思う。
次の日の告別式も、初七日法要と共にすべて無事に終わり、散会となった。
会葬客を見送る中、姉と一緒に帰ろうとしていた私に叔母はこう言った。
「叔父さん、Pekoちゃんのことはこんな歳になっても可愛い可愛いって、可愛がってたからね~
こんないいオバサンになったアンタでも可愛い可愛い~ってね。^^」
叔母さんの言葉は周りにいた人たちの笑いを誘ったが、私の目からは堪え切れずに
涙がボロボロとあふれてきてしまった。
叔母さん、反則だよぉ~~最後にそんなこと言うなんて・・・
叔母さんが「泣くな!」って言うから必死で我慢してたのに~~~
「ほんとにこんな私のことを可愛いって言ってくれるのは叔父さんだけだったよぉ~
貴重な存在だったのに~~
もう私のことを可愛いって言ってくれる人、いなくなっちゃったよ~~」
泣きながらそう言うと、皆は「ヨシヨシ・・・」と言いながらもまた笑った。
しょっぱな叔母に怒られたものの、最後には叔母に泣かされてしまった・・・。
実際、「Pekoは可愛いなぁ~^^」「おもしろいなぁ~^^」って、
おバカな私の話でもいつもおもしろがって、楽しそうに聞いてくれる叔父だった。
そんな叔父が私は大好きだった。
M叔父さん、ありがとう。本当にありがとう。
私は何度も何度も手を合わせて叔父さんにお礼を言い、お別れをしてきた。
M叔父さん・・・
たとえ、私がお婆さんになってそっちへ行ったとしても、
また「可愛いなぁ~」って、「よく来たなぁ~」って・・・
言ってね、叔父さん。。。
お宮参り [言葉の花束]
桜の季節・・・
我が家のベランダの桜も咲いてます~。
連休前から咲き始め、これは今日の午後に撮ったものです。
今年はどんなサクランボができるか、楽しみ~~
さてさて、先日の連休には名古屋まで行ってきましたよ~
義母も一緒に3人で行ってきました。^^v
都内も東名もかなりの混み様で、自宅から義母のホームまでもいつもの倍の時間がかかり
10:30に自宅を出て、名古屋に着いたのは19時頃でした。
息子宅に泊り、その夜は嵐のような土砂降りの雨・・・
翌日のお宮参りが心配になりましたが
奇跡的に(笑)朝には雨も止み、無事にお宮参りを済ますことができました。
午前中に写真館(フォトスタジオ タートル)で記念撮影をしました。
Qちゃんのご両親も一緒に、親子4代、総勢8人での記念撮影。^^
何パターンか撮ってもらい、どれにするかは息子夫婦に任せることにしました。
Qちゃん、この日に合わせてご両親に作ってもらった着物を着て写真を撮りました。
とっても落ち着いた若奥様らしいお着物で、よく似合っていて、ご両親も嬉しそうでした。
ポニョ子のこともとっても可愛がってくれてるご両親にはいつも感謝です。
それにしても何だか「さすが名古屋!」と思ってしまった不思議空間のこのフォトスタジオ。(笑)
いろんなセットや小道具で、テーマに合わせた独特の世界を作り出しています。
若い女性カメラマンとスタッフ助手?による撮影もとってもおもしろくて何度も大爆笑・・・
楽しい楽しい記念撮影となりました。
ポニョ子は一度もぐずることなく、撮影後はまたスヤスヤ。^^
写真撮影のあとは、写真館そばのお店で食事会。
息子たちお勧めの和食のお店でした。
落ち着いた雰囲気のいいお店でした。
美味しいお塩で頂くお豆腐2種が珍しかったですね~
久しぶりに食べたマナガツオの焼き物が絶品でした。 ↑
筍ご飯 桜のシャーベットがさっぱりしてて美味しかった^^v
昼食後、皆で熱田神宮へお宮参りに・・・
ポニョ子を抱っこして祝い着を着せてもらって・・・
Pekoばあば、幸せな瞬間。
夜中の嵐が嘘のようにお天気は良くなりましたが
風が強くて寒い一日だったので・・・
皆で栗ぜんざいをいただきました。身体もあったまって美味しかった~
この時もポニョ子はスヤスヤ。^^
話は前後しますが・・・
名古屋入りした夜、お夕飯へと向かった先は、何やら煙がもうもうと・・・
でもこれが、かなりいいにおい
ひつまぶしのお店「蓬莱軒」です。^^v 名古屋では一番の老舗だとか。
19時過ぎにお店に行くと、まだまだすごい行列で「8時20分に来てください」と。^^;
1時間ほど近くで時間を潰して8時20分に入店許可。^^;
3人ともお腹ペコペコで、遅めのお夕飯となりました。
お店に入ると急な階段を上って2階へ通されました。
旅館の大広間のようなところに座卓がたくさん。
義母用に小さな椅子をもらいましたが、少し食べにくかったかもしれませんね。
テーブル席もあったのかしら・・・?
義母が大丈夫と言うので、聞いてみませんでした。(^^ゞ
来ました来ました~^^ いっただっきま~っす!
まずは薬味など入れないで食しましょう。 薬味は海苔とワサビとネギ。
お次は薬味をのせて。 その次はだし汁をかけてお茶漬け風に。
3人とも完食~^^v
でもね、でもね、
ここだけの話・・・
私には以前Qちゃんのご両親に連れてってもらった「まるや」の方が
私好みのカリカリの焼き加減に肝吸いも付いて、値段もぐっど。
「まるや」の方が気に入りました。^^v
名古屋のお土産、最近のお気に入りはこれ。
「さくさく日記」^^
あの「ゆかり」の孫のような一口サイズのえびせんなのです。
でも味は「さくさく日記」>「ゆかり」
だと、私は思うなぁ~(^^ゞ
いつも買ってたのだけど、今回はQちゃんのご両親から頂きました。
因みに、黄色い袋のホタテ味もあるのですが、断然赤い袋の海老の方が美味しいです。^^
一泊のみの名古屋でしたが、盛りだくさんな一泊二日でした。
みんなみんなお疲れさまでした!^^
ポニョ子はどんな花を咲かせるのかなぁ~^^
友、遠方より・・・ [言葉の花束]
友、遠方より来たる。
週末、高校時代の友が上京するというので集合がかかった。
集合をかけて上京してきたのはM君。高校時代の生徒会長だ。
集まった仲間は5名。(男子、いやおじさん3名と女子おばさん2名)
首都圏在住の元秘密諜報部員生徒会執行部の仲間だ。^^
今回の議題は「同窓会」、正確には「同期会」かな?
過去に感動の同期会をやった時のこと、覚えておられるだろうか・・・
そう、タイムカプセルを掘り起こして30年前の自分に出会ってきたあの同期会・・・
(こちら ⇒ 「タイムカプセル開封~~!?」)
あの時に、みんなの声は聴けたものの、8ミリビデオテープの存在は誰も覚えてなくて
その時には視ることができず、5年後に・・・と言ってた前回の同期会・・・
あれからその5年が経つのである。
なので、今年はまた同期会をやって、みんなでその映像を視てみよう!!となったのだ。
集合場所はM君がお泊りしてる横浜のホテルロビー。
そこから中華街へ行って、食事しながら相談しようということだった。
週末は夫が出張だったことも私にはよかった。^^
気兼ねなく夜のお出かけができたから。^^v
家を出たところで丁度バスが来た。
いつもは駅まで歩くのだが、あまりにもタイミングがよかったので、そのバスに乗り込んだ。
が、が、が~~~~
少し進んでひとつ交差点を渡ったところでバスは止まってしまった。
前を見ると、ずーーーーっと繋がっている。
ちっとも進まない。
時間だけがどんどん進んでいく。
先が見渡せる直線道路で進行方向の先の先を見たところ・・・
パトカーや救急車の赤色灯が忙しそうに点滅していた。
事故だ。
これはまだまだ時間がかかりそう・・・と思った私は運転手さんに言った。
「時間かかりそうですね・・・ここで降ろしていただくことはできませんか?」
すると運転手さん、動かないバスの前方を見たままで
「ここはバス停じゃないので、それはできません。(キッパリ)」
はうぅ~~~
事故はバス停のちょい手前で起こっていた。
どうすることもできずにバスと共にちびりちびりと進み
結果、歩くよりも何倍もの時間がかかってしまった。
M君にTELすると、直接横浜中華街へ行けと。
お店は「ようきろう」だと聞き、とりあえずそこを目指して行くことにした私。
みなとみらい線終点で降りて、中華街へと向かいながらM君にTEL。
すると今度はM君たちが乗った電車が事故のため止まって動かなくなったと。
しかたなく、一人で「ようきろう」を探すことにした私。はて、楊貴楼か?(謎)
途中、壁に描かれていた大きな地図を見ても「ようきろう」はなく、
あるお店に入って「街道指南」なる中華街の地図をもらって探した。
が、その地図にも「ようきろう」はなかった。
きらびやかな建物を横目で見ながら、携帯で連絡を取り合いながら、
彼らが着くという「石川町」の駅へと向かっていると、駅手前でメンバーの一人が私を発見し
「〇〇〇!!」と。
呼ばれたその名前は、ちょいと人混みの中ではこっぱずかしい私のニックネーム。
だが、そんなことはおかまいなしで、無事の再会を喜び合った私たち。^^v
そして向かったお店は・・・
「ようきろう」なんかではなく、「景徳鎮(けいとくちん)」
「何が“ようきろう”だー!!どこが“ようきろう”よ!!
よ・う・き・ろ・う・・・、け・い・と・く・ち・ん・・・
一個もあってないじゃないよぉ~~」 とM君をなじると
「ごめんごめん!!あれ~おっかしいなぁ~どこから“ようきろう”が出てきたんだろ・・・」と。
携帯があるから今はなんとでもなるけど・・・
しっかりしてくれい Mちゃん
同期会の話はいろいろいろいろ脱線しながらも誰かが軌道修正しつついろんな意味で盛り上がった。
近況報告では、それぞれが厳しい局面に立たされながらも頑張っている様子が垣間見えた。
高校時代の思い出話も、記憶している断片が一人一人違うので
それらをつなぎ合わせると、結構おもしろいストーリーがいくつも発覚し、おもしろかった。
気が付けば、あっという間に閉店の時間となってしまっていた。^^;
大まかなことは大体決まった。
あとの細かいことは地元の部員たちで準備してくれると言う。
ワクワク・・・×100倍。(笑)
楽しみ~~
そしてもうひとつ・・・
友、遠方より電話をかけて来る。
昨夜のこと、に電話がかかってきた。
故郷の実家近くにいる小中一緒の幼友達Kちゃんからだった。
中学の同期会も今年やるのかしら・・・?
と思ったら、そうではなかった。
電話の周りはすでに賑やか賑やか。^^
Yさんが久しぶりに帰省してきたので、何人かでプチ同窓会をしてるとのこと。
いいなぁ~~~^^
で、話は昔の思い出話となり・・・
小学6年生の時に私たちの担任の先生が交通事故で亡くなったあと、
先生の実家へお墓参りに行った話で意見が分かれてる・・・と。
それは、小学校卒業時に行ったのか、中学卒業時に行ったのか・・・ってことで
前者主張が3名、後者が2名の状況だと言う。
それで、ここはPekoに聞いてみよう~~ってことになり、かかってきた次第。(笑)
その話も過去に書いたものがあるので、よかったらどうぞ。^^
(こちら ⇒ 「先生の教え子は私たち6年2組だけ」)
私の記憶では中学を卒業してからのはず・・・
中学の卒業証書を持って、「義務教育を終えました」と報告に行ったのだから・・・
そう伝えると、一人の男子いや、おじさんが、前者から後者に「寝返ったーー!!」らしい。(爆)
もう電話の向こうでは喧々諤々やかましいやかましい。(笑)
私の話で、さて、その後はどう結論が出たかは不明だが・・・
なんとも楽しそう~~
T先生も、天国でさぞ大笑いをしてるに違いない。^^v
それにしても、段々と昔の記憶も定かではなくなってきてることを痛感した
「友、遠方より・・・」2種であった。。。
娘と娘の友人たちと私・・・ [言葉の花束]
2月の終わりに娘とお出かけをした時のこと。
とりあえず腹ごしらえということで、カレー屋さんに行ってきました。
私はクセの強いお料理や辛いものは苦手。
要は、お子ちゃまなのです。^^
さてさて、ここのはどうでしょう~~
ご飯かナンを選べるようなので、ここはナンをチョイス。^^v
巨大なナンが運ばれてきました。
香ばしいバターの香りプンプンです。
ランチタイムには、このナンがおかわり自由、食べ放題
さぁ~いただきましょう~~
辛さまろやかタイプのほうれん草のカレーと、シーフードのカレー。
辛いもの苦手な私でも、シーフードの方も、美味しく食べられましたっ!^^v
ナンもパリッとふっくらアツアツで、美味しかったよ。^^
これなら何枚でも・・・と思えましたが・・・
本当にでっかいナンで、1枚食べきるのがやっとこさの私たちでした。^^;
いくら美味しくても、いくらおかわり自由~とは言っても、
そんなにおかわりできるものではないということを知りました。(^^ゞ
ドリンクはチャイにしチャイました
娘は温かいのを、私は冷たいのを。
私は一気に飲んヂャイました。^^
それから向かった先は、銀座。
娘の中学時代の同級生が修了展をしてるから一緒に行こう~と誘ってくれました。
ここに大学院で書道学を専攻していた友人の作品が展示されているのです。
そういう道の選択もあったのですね~
ちょっとだけ羨ましかったなぁ・・・(^^ゞ
娘が他の友人2人にも声をかけたところ、喜んで行く行く~ってことで、
この私、その若い子たちに混ぜてもらって(笑)行ってきました。
みんな馴染み深い子たちだったので、私も久しぶりに会えて、とっても嬉しかったわ~
そのうちの一人と作品の筆者は娘と同じバスケ部で頑張った仲間。
私も彼女たちのお父さんやお母さんとも親しくさせてもらっていたので
懐かしさいっぱいでした。^^
二人ともちっとも派手じゃなく、とてもいい娘さんに成長されてて・・・
眩しかったなぁ~
もう一人は男子。
以前の日記にも登場した優秀な彼だ。(⇒「恩返しもできないまま・・・」)
今は5月の新司法試験を目指して勉強中とのこと。
画廊内を作品の筆者たちに解説してもらいながら観て回り、
しばし日本の「書」の世界に浸ったいい時間でした。^^v
一足先に帰ることにした私は帰り際に、5月に司法試験を受けるという
ガンで亡くなった友人の息子である彼の肩に手を置いて
「パワー注入~~ 頑張って ポン!」 と声をかけたところ、
「お母さんそんなことしちゃダメだよ~パワーなくなっちゃうから。」
と娘から言われてしまいました。
注入したつもりがパワー吸い取ってた? ごめんごめん~
こうして夢に向かって頑張ってる若者もたくさんいるんだなぁ・・・と実感しました。
フレーフレー、み・ん・な
男のビールマンスピン! [言葉の花束]
オリンピック、フィギュアスケートで盛り上がってますね~
男子の日本人3選手もそれぞれに個性・得意分野があっておもしろいと思いますが
特に高橋選手のスケートは今までにない、ビートを感じる滑りで私は好きです。^^
若いけど、男の色気も感じます。
パントマイムのようだったり、ヒップホップ的な動きだったり、
頭の動きが他の選手にはない動きですよね。
観ていて、かなり楽しいです。^^v
女子の3選手もそれぞれに良いですよね~^^
真央ちゃんとキム・ヨナ選手も、もうどちらもスゴイ
キム・ヨナ選手の表情や身のこなし、肩の動きなどの艶っぽさは、
真央ちゃん(ちゃん付けで呼んでるところからしてすでにね^^;)と、とても同い年とは
思えないけれど・・・ね。(^^ゞ
明日は皆、思う存分自分たちの持ち味を出し切って気持ちよく滑ってほしいと思います。
さて・・・
女子のフィギュアスケートを観ながら夫が言いました。
「男はどうしてビールマンなんたらってやつをやらないの?」
ハテ?そう言われてみれば私も見たことないなぁ~
で、早速ネットで検索。
ありましたよ~^^v 2007年のものですが・・・
「男性選手のビールマンスピン」についての質問(教えて!goo)
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2871026.html
そこで柴田嶺という選手のことを初めて知り、検索続行したところ・・・
見つけました。その彼のビールマンスピン
ビールマンスピンだけでなく、ドーナツスピンまでやってるんですね~^^
柴田嶺 ・・・ いやぁ~~お見事^^
かなりの柔軟性を持った選手だったのですね~
でも、高橋選手には必要ないかな・・・(^^ゞ
技術にしろ表現力にしろ、こと評価となると難しいフィギュアスケートですが、
それぞれの持ち味を十分に生かしたスケーティングというのは
観ていてとっても楽しいし、感動します。
明日、またドキドキもするけど、楽しみです
*** 追記(3/3) ***
世界ジュニア選手権2010で逆転優勝した羽生 結弦(はにゅう ゆづる)選手も身体が柔らかくて
ビールマンスピンやイナバウアーが得意だそうです。まだ15才の中学3年生だとか。^^
女子では当たり前のようなビールマンスピンですが、男子では珍しいんですね~^^
沐浴担当は新米お父ちゃん♪ [言葉の花束]
翌日、ポニョ子の沐浴担当は新米お父ちゃんのP介。
なかなかの慣れた手つきで手際よくやっていましたね~^^
見てて感心したのは、沐浴の準備から後片付けまで、すべてをちゃちゃっとやったこと。
前日も掃除・片付けから手料理まで、実によく働いたそうです。
Qちゃんに聞くと、それは特別なことではなく、いつもよくやってくれるということなので
本当に感心しました。よしよし。^^
しかも、自ら進んで積極的に「やりたい!」と言って、料理もポニョ子の世話もするそうで。
なんだか父性というより、P介の中の母性が目覚めた!?って感じ。(笑)
Qちゃん、出産前の予定では、産後一ヶ月くらいは実家にいる予定でした。
でも、いざポニョ子と退院して実家に行くと、できるだけ早くP介のいる自宅に戻りたい!
と、気持ちが変わり、1週間もしないうちに実家から自宅に戻ったのです。
Qちゃん曰く
「私はP介さんのそばにいるのが一番落ち着くしリラックスできるんです。
ポニョ子のことも毎日P介さんに見せたいから、早く帰りたくなったんです。^^」って。^^
実家の方が手伝ってもらえるから楽ができて居心地がいいんじゃないかと思ってたら
どうやらQちゃんは、そうではなかったんですね~^^;
とっても細身のQちゃんですが、母乳での育児を推奨する病院の指導のお陰で
今のところは母乳のみで頑張っています。
その指導というのがなかなか大変で、1ヶ月になるまでは1時間半置きに授乳するというもの。
牛乳も一日に1杯だけ、お茶も麦茶が良いなどの指導も。
1回の授乳には20~30分かかるので、すぐに次の授乳時間がやってくる感じ。^^;
夜中もそのペースだから、かなり大変そう。
でも、そうすることによって母乳の出もよくなるそうで、1ヶ月過ぎれば徐々に楽になる
とのことでした。
今はそんな授乳中心の生活なので、他のことまでは時間的にも体力的にも
なかなかできる状況ではなく、P介が積極的に手伝わなければやっていけないのです。
ただ授乳だけはP介が代わってやることはできないので、他のできることを進んでやってる姿は
まさに、新米父と母の共同作業といった様子でした。
私のお産の時には両方の母親が交代で手伝いに来てくれていろいろやってくれたので
私もそのつもりでいたのですが、たいして手伝うこともなく、ただ可愛いポニョ子を
抱っこさせてもらって楽しませてもらうだけの楽チンばーばでした。^^v
私たちがずっと家にいたんではQちゃんも多分疲れると思ったので^^
翌日は仕事がお休みだった息子と3人でお出かけすることにしました。
まずお昼に連れてってもらったのは、息子お勧めの「長浜ラーメン一番軒」
細麺の豚骨ラーメンは結構好きです。^^
広々としたお店でした。
私はシンプルに「長浜ラーメン」
「かためん」で。^^v
嬉しかったのは、胡麻がかけ放題だったこと。(笑)
大好きなので、御覧のようにたっぷりとかけました。^^v
ごちそうさまでした!!
次に行ったのは 「名古屋港水族館」
水族館の中は照明がゆらゆら揺らめいて、まるで海の中にいるみたい~~^^
イルカの前で何想う父と息子。^^
イワシの群舞で~す。^^
白イルカ、ベルーガです。
生まれた時には灰色ですが、10年くらいかけて、こんなに真っ白になるんですって。^^
↓ この水槽のどこかにお魚が・・・ どこにいるかわかります?^^
これ、お魚なんですよぉ~~^^ 岩オコゼ。
クエ 石ガレイ
クラゲの仲間たち・・・
ペンギン王国です。^^
カメさん。
世界最大のカメの甲羅の化石!!
デ、デカイ・・・ 手・足・首などを引っ込めることができない種類のカメだったそうです。
建物の中から外を見ると、天使の梯子が降りてきそうな空・・・
降りてこなかったけど・・・
この名古屋港水族館、いくつも建物があって、かなり広い!!
アル中(歩き中毒)の夫にはいい場所でした。^^v
夫が言いました。
「海水パンツはくことがまだあるだろうか・・・?」
「ん?どうしたの?
ひょっとしてポニョ子と海とかプールとか行くの想像してる?(笑)」
夫、ニヤニヤしながら
「じーじのお腹、割れてる~~!!って、ポニョ子が言ったりして・・・むふふ。」
夫、妄想の世界を爆走中でありました。(爆)
それならもっと鍛えなきゃ~!!
それともニンニク卵黄いっとく?(笑)
妄想に歩くのに疲れた我々は、高島屋でティータイム
イチゴとチョコレートのパフェ むふ
食品売り場で明日のお茶菓子やらお土産やら
Qちゃんのお夕飯の足しにとサラダ2種(サーモンサラダ・菜の花とブロッコリーのアンチョビサラダ)を買いました。
次の日はバレンタインデーでもあるので、チョコレートケーキも買って帰りました。
お夕飯は近くの洋食屋さんへ
キレイな洋食屋さんでした。
わかりにくいけど、カニクリームコロッケ
息子は定食ものを頼み、あとは単品でとって、分け分けしました。^^
かきフライ ガーリックトースト
デザートは、お家へ帰ってQちゃんと一緒に
みんなが大好き、お馴染みトップスのチョコレートケーキ
このトップスのケーキ、私が初めて食べたのは30年以上も前のことです。
短大の寮の先輩が買ってきてくれたのです。
その時から変わらないスタイルと味。^^
Qちゃんも「大好きです!!^^」って、喜んでくれました。^^v
トップスと言えば、私の大好きなカレーもあるんですよ~
ビーフドライカレー (今のところはこのカレーが一番好き!^^)
昔のお店の名前は「トップス&サクソン」だったけど、今でも渋谷西武でケーキと同じく
昔と同じ味とスタイルで食べられるから感激です。^^v
さぁ~て、楽しい時はあっという間に過ぎてゆき・・・
息子宅に2泊して、帰る日のお昼には
Qちゃんのご両親がお寿司とサラダを持ってきてくれて、皆で頂きました。^^v
狭いテーブルを囲んで、いろんな話に花が咲きました。^^
鯛の潮汁とオクラの胡麻和えだけは作りましたよん。^^v
Qちゃんのご両親、私たちよりも少し年上なのですが、とっても話しやすくて
いいご両親なのです。
ポニョ子のことも大事にしてくれるのは勿論ですが、P介のこともとっても可愛がって
下さっているので、本当に有り難いです。感謝感謝です。
次は3月にまた会いに行くからね~~
ポニョ子に会いに名古屋へ~ [言葉の花束]
2月11日 建国記念日で高速道路がお安い日^^
私たちは名古屋まで初孫ポニョ子に会いに行ってきました。
乾杯用のシャンパン、息子に頼まれたワイン、そして故郷の私の兄が送ってきてくれた
ダバダ火振りの栗焼酎「長期地下貯蔵ミステリアスリザーブ」を積んで。^^v
お昼前に出発して、途中パーキングで昼食。夫はラーメン、私はおそば。
途中休憩しながら、小雨の中、名古屋へ向かいました。
夫、運転中に煽られたり無謀な追い越しをかけられたりすると、すぐに
瞬間湯沸かし器のスイッチが入ってしまい、抗議の(?)追っかけをすることがあるのですが
車をフィットにしてからは、お陰さまでその回数が激減しました。
今回は1回のみ。^^;
無事、息子宅に到着したのは5時過ぎ。5時間半くらいかかりました。
今回初めてのご対面~~となった夫とポニョ子。
ポニョ子は写真で見るよりもまだまだちっちゃくて、可愛くて、思わず夫も満面の笑顔。
私も手洗い・うがいをした後、すぐに抱っこさせてもらいました。^^v
我が子の時には首がすわるまではコワイと言って、なかなか抱っこしなかった夫ですが
今回はこわがりながらも、緊張しながらも、ポニョ子を抱っこ^^
息子や夫の赤ちゃん時代にも似てるポニョ子は男の子のように見えることもあり、
でも、泣き声やちょっとした表情は女の子らしくも見え、
いろ~んな顔を見せて楽しませてくれました。^^
私から見ると、Qちゃんのお母さまにも似てると思えましたが
皆は口をそろえてP介にそっくり~~って言います。^^
どんな成長を見せてくれるか、楽しみです
到着した日のお夕飯は、なんと息子P介の手料理とな
何を食べさせてくれるのでしょう~ワクワク
シャンパンで乾杯した後は、息子が一品ずつ出してくれました。
まずは・・・
鯛の刺身サラダ
あは~~これは私がよく作ってたものですね~(笑)
白髪大根やきゅうりの千切りに鯛の薄切りをのせ、三つ葉や大葉、砕いたナッツをトッピング、
食べる直前にお醤油と胡麻油をまわしかけて和えます。
息子のはミョウガなども入れてあって、豪華版でしたね~^^v
次に出てきたのは・・・
煮浸し~
野菜(ナス・カボチャ・椎茸・しし唐)とお肉を焼いてから、だし汁に浸けたもの。
だし汁も私とは違って、インスタントではないとのこと。(^^ゞ
思わず「まいう 」って言ってしまいました。
シャンパンのお次は無手無冠(むてむか)の栗焼酎
メインはなんと・・・
鯖の味噌煮~ ごぼう添え^^
豆腐と油揚げのお味噌汁までしっかり頂きました!^^v
一度は料理人を目指してシドニーの和食レストランの社長宅に居候させてもらってたP介。
1年だけでしたが、無駄ではなかったということかしらん?^^
どれも美味しくいただきましたぁ~^^v
ごちそうさま~~
今回私はQちゃんに、お祝いと感謝の気持ちを込めて何かプレゼントしたくて・・・
ポニョ子にはいろんなお祝いをもらうだろうから・・・
街で見つけたこんな春夏用のバッグを・・・
お袋さんになったことでもあるし・・・って、これはこじつけですが。^^;
Qちゃん、喜んでくれて、よかったわぁ~
そのQちゃん、ポニョ子との対面を待ちわびながらせっせせっせと作ったものがありました。
可愛い可愛いよだれかけや帽子です。^^
裏地も可愛いのよ~
何より、肌触りが最高にいいのですよ、これ。
ベビー用の布地なんだそうです。^^
こんな小物たちまで・・・
バッグも大好きなマリメッコの生地で手作りなんですよ~
なんでもお母さまによると、今まで針仕事などしてる姿を見たことがなかったとか。^^
それが妹さんによると、「ポニョ子のためならなんだってできるぅー」って
楽しみながら作ってたとか。^^
Qちゃん、すごいーー
で、手芸の大得意な義母(=ひぃばーば)からもこんな可愛いお祝いが
刺繍入りのよだれかけやポーチです。^^
そして届いたばかりの手編みの帽子
ひぃばーば、こんな帽子ならちょちょいのちょい ですって~
Qちゃんも義母も、そしてP介もすごいなぁ~~と、
感心しきりの私でありました。。。
つづく・・・ ^^
Baby誕生秘話(裏話?) [言葉の花束]
19日の早朝、息子から電話がかかりました。
実家に帰ってたQちゃんに夜中1時過ぎから陣痛が始まり、今から入院するとの事。
そして息子もこれからすぐに病院へ向かうとの事。
この日と翌日、ちょうど仕事のなかった私は午前中に用事を済ませて新幹線に飛び乗りました。
名古屋から地下鉄を乗り継いで、駅まで迎えに来てくれたQちゃんのお母さんと一緒に
病院へ着いたのは3時半頃でした。
Qちゃん、陣痛の間隔は狭まってはいるものの、赤ちゃんがなかなか下りてこなくて
分娩室に行くのはまだまだ先の模様でした。
数分置きにやってくる痛みに、疲れ切った様子のQちゃん。
でも痛みがやってくると、息子が手を伸ばして痛がる腰に手を当てたり手を握ったり。^^
朝、息子が病院へ到着すると、お母さんはQちゃんからこう言われたそうです。
「P介が来てくれたから、お母さん帰っていいよ。
P介がそばにいてくれるのが私にとって一番リラックスできることだから。^^v」
ですって。(笑)
なのでお母さんは自宅待機となっていた次第。^^;(病院から実家までは車で5分程)
お母さん、「P介君がとっても優しいから、ほんと、うらやましぃ~~~~」 を連発でした。^^;
Qちゃんのお産、初めは自然分娩で大丈夫でしょう~とのことだったのですが
時間経過と共に、お医者さまの判断で、無痛分娩でいくことに。
無痛分娩とは言っても、完全に無痛になるわけではなく、
麻酔で痛みをある程度緩和するのだそう・・・。
もうその辺のことはこちらにはさっぱりわからないから、お医者さまに委ねるしかありません。
その病院では面会時間終了の7時までしか私たちはいることができませんでした。
しかも面会できるのは妊産婦の夫とそれぞれの両親のみ。
インフルエンザ対策のようで、妹もおばあちゃんも入院中は会うことができないのでした。
立ち合い出産を希望し、父親学級のような講習会にも参加して立ち合いを許可された息子は
時間に関係なくお産終了まで付き添うことができるのです。
できれば7時までに出産を終え、その日の内に赤ちゃんに会いたかったのですが・・・
Qちゃんが息子に半分抱えられながら分娩室に入ったのは6時半。
そんなにすぐには無理だろう~と思いながらも、後ろ髪を引かれる思いで
私とQちゃんのお母さんは、仕方なくQちゃんの実家に帰って一緒にその時を待ちました。
Qちゃんの妹さんが用意してくれたお夕飯を一緒に頂きながら待ちました。
7時を過ぎ、8時を過ぎ、9時まで過ぎて・・・
次第に心配や不安の方が大きく首を持ち上げてきそうになった頃、
私の携帯が鳴りました。
息子からです!
急いで携帯を取ったところ、その声の主は息子ではなく、なんとQちゃん本人でした!!
「無事に女の子が産まれましたぁ~~~~時間がかかりましたぁ~~~」
Qちゃん、泣き声でした。
そしてすぐそばで、もうひとつ泣き声が・・・
「ふんぎゃ~~ふんぎゃ~~」
赤ちゃんの声でした。^^
少し喋って、すぐにQちゃんのお母さん→お父さん→妹さんに代わりました。
皆、涙ぐみつつ電話を代わりました。
嬉しさと安堵感に包まれた瞬間でした。
電話を切った後、飲んでいた日本茶で乾杯をしました。^^v
すぐにまた携帯が鳴りました。写メールでした。
「まだ分娩台の上にいます」
カンガルーケアというのだそうです。 (詳しくはこちらのサイトでどうぞ)
へその緒が短くて、なかなか赤ちゃんが下りてこず、時間がかかってしまったようでした。
最後はP介が産まれた時と同じ、吸引分娩での誕生となりました。
(P介誕生時の出産秘話?はこちらの過去記事で。^^;)
出血もひどくて、貧血にもなったそうです。
無痛分娩じゃなかったら気を失ってただろう・・・って言われたとか。^^;
Qちゃん、大変だったね~よく頑張ったね。本当にありがとう!!
電話の時にQちゃんが私に言いました。
「お父様とP子ちゃんにも私から報告したいので、今からかけてみます~~」
直接Qちゃんからの電話を受けた二人も相当ビックリしたことでしょう。^^
でも、夫もかなり嬉しそうでした。^^
もう二人には、結婚に向けての決意表明の時といい、今回といい、何かと驚かされ
感動させられてる私たちでした。
思えば、息子P介も同じ時間の頃に産まれました。
久しぶりに母子手帳で見てみると、なんと、1分違いの7時52分でした。^^
私も夕食を食べないままお産に入り、その夜はひもじくてひもじくて泣きたかった経験をしたので
Qちゃんも、きっと夜にはお腹が空くだろうと思い、お食事はちゃんと置いてきたし
品川で買った「餅入りどら焼き」のようなものも置いてきました。
案の定、少し落ち着いた後では急にお腹が減って、食事もどら焼きもペロリと平らげたそうです。
「助かりました~^^」とQちゃん。そうでしょう~そうでしょう~~うんうん。^^v
そんなQちゃんを見届けてから、息子が私を迎えに来てくれました。
Qちゃんのご両親や妹さんと固い握手で喜び合うP介を見てると
あちらのご家族にも可愛がってもらってるのがわかって、とても嬉しくなりました。
息子の携帯には誕生を知らせた直後、お父さんからメールが届いたそうです。
「全面的にバックアップするから安心してください!!」
なんて心強~~いメールなんでしょう~^^
皆に支えられて、本当に有り難いことです。
息子と一緒に一度息子宅に戻り、車を置いて近所の居酒屋へ行き、
ビールで乾杯をしました。^^v
「立ち合ってよかったよ。^^俺もああいう風に生まれてきたんだな~って感慨深かった。」
と、息子は言いました。
私は息子に言いました。
「あなたが娘を可愛いと思うのは当たり前。
だけど、あなたが一番大切に思わないといけないのはQちゃんだよ~
娘よりQちゃんだからね!」
「わかってるよ~」 と息子は言いました。^^
翌日は8時半からの面会時間に合わせて息子と病院まで行きました。
と、その前に・・・
私には行きたいところがありました。
食べてみたいものがありました。
で、連れてってもらいました。
ここです。^^
コメダ珈琲店。
食べたかったのはコレ。
シロノワール ^^v ソフトクリーム好きにはたまりまへん~~
カフェオレのようなモーニングコーヒー(380円)は厚切りトーストとゆで卵付き。^^
ソフトクリームが大好きな私には朝から満足感いっぱいの朝食となったのであります。^^v
病院に行くと、出勤前のご両親も来ていました。
Qちゃんは抗生剤の点滴中でした。
縫った部分もかなり普通以上だったとか。
貧血もひどくて、足元もまだフラフラのようでした。
が、大仕事を終えて、かなりホッとしてる様子のQちゃんでした。
ママとなったQちゃんは、髪の毛はもしゃもしゃでしたが(笑)、輝いていました。
しばらくはゆっくりと休んで、自身の身体をいたわってほしいと思いました。
沐浴を済ませた赤ちゃんがお部屋にやってきました。
そこでご対面~~となったわけです。^^v
赤ちゃんは抱っこすると、懐かしいニオイがしました。^^
息子も我が子を抱っこしました。
息子、そのままベッドに座って壁に寄りかかりながら言いました。
「俺もカンガルーケアしよっ」
Qちゃんと私、大笑いしてしまいました。(笑)
夕方は仕事帰りのQちゃんのお母さんと交代するべくあとを頼んで、
私は名古屋駅まで息子に送ってもらって帰路に着きました。
車中、息子が言いました。
「どうやって育てたら、親を大事にしてくれる子になるんだろう~」
「そりゃあなたが自分の親やQちゃんの親を大事にしてたら
子供もそういう姿を見て、あなたたちを大事に思う子に育つんじゃないの~?」
って・・・どうなんでしょうかね。(^^ゞ
とにかく、また2月に会いに行くからね~。。。
** おまけ **
病院食、とっても美味しいそうです。見た目も豪華だなぁ~^^
朝・昼・晩の3食におやつとお夜食も出て、すべて完食だそうです。^^v
はじめまちて♪ [言葉の花束]
いきなりあんよから失礼しますぅ~(笑)
1月19日 午後7時53分 2828gの女児誕生
予定日より少し早目のお産はちょっと大変で心配しましたが、
Qちゃん、頑張ってくれました。
P介・Qちゃん、本当におめでとう
そして
じいじとばあば(ばばあじゃないよ!)にしてくれて、ありがとぉ~
お父ちゃんのお手手をギュッ
19日から一泊で名古屋まで行き、昨夜自宅に戻ってきました。
嬉しくて嬉しくて、とりあえずUP。^^
「初めまして♪」 なのです。
「Calling You」@「バグダッド・カフェ」 [言葉の花束]
ずっと耳の奥にへばりついていて忘れられなかった曲・・・
20年も前から、誰の何ていう曲かわからなかったけれども好きだった曲・・・
それが ジェヴェッタ・スティールの「Calling You」
何十人ものアーティストが歌ってるというが、彼女のが一番だ。ぐっとくる。
その曲が主題歌になっている映画 「バクダッド・カフェ」 をやっているというので
観に&聴きに 行ってきた。^^ (ニュー・ディレクターズ・カット版)
娘に行くという話をすると、どこの映画館?て聞かれた。
渋谷のミニシアター「ユーロスペース」だと答えると
「お母さん、気をつけてね・・・その辺、いかがわしいお店が並んでるところだから。^^;」 と娘。
「んぎゃっ!?そうなの!?でもなんであなたがそういうこと知ってるのよ!!」 と母。
「いやいやいやいや・・・その近くのライブハウスに行ったことがあるからだよ~(笑)」 と娘。
なので母はちょっとドキドキしながら、でもキョロキョロすることなく真っすぐ前だけ向いて
足早にユーロスペースだけ目指して行ってきた。
午前中だったし、なんてことない通りに思えたけど。^^;
映画は太っちょおばさん(ジャスミン)と細っちょおばさん(ブレンダ)の物語。
みんなみんな誰かに必要とされながら心穏やかにいられる自分の居場所を探してる・・・
誰もが寂しさを抱えて、誰かと何かと繋がることを求めている・・・
人種も偏見も超えて。
居心地が良くて楽しければ、言うことはない。
そんなバグダッド・カフェ。
行き交うトラックの騒音の中にあっても
静かに、ゆっくりじんわりと、心が温かくなってくるような映画だった。
細っちょおばさんの息子がピアノで弾くたどたどしいバッハも
太っちょおばさんと共に聴けば心癒される「アベマリア」になる。^^
(映画とは何の関係もない女性だけれど、きれいな「アベマリア」を見つけたので。^^)
そして最後のエンディングロールでは
この映画のために作られた主題歌、大好きな「Calling You」が流れた。
しかし、誰一人として曲の途中で立ち上がる人はいなかった。
静かな夜、独りでこの曲を聴くと、涙がこぼれる。。。
聞こえる? あなたを呼ぶ私の声が聞こえてる?
聞こえてるでしょ? 私の声は届いてるはず。。。
I am calling you
Can't you hear me
I am calling you
I am calling you
I know you hear me
I am calling you Oh
夫の子供の頃からの夢が叶った♪ [言葉の花束]
3日、夫と近所のスーパーへ初買い出し。^^
そこで夫があるものを見つけて興奮する。
「子供の頃、これ買うのが夢だったんだよなぁ~」
と嬉しそうにつぶやいて、お買い上げ~~
それだけでカゴは一杯になってしまったけれど、夫の顔は子供のように満足げ。(笑)
「よかったね~新年早々、子供の頃からの夢が叶って。^^」 と言うと
「うん」 て。。。(笑)
夫が何を買ったかって?
それはね・・・
じゃーーーーーん !!
バナナですじゃ!!(笑)
そうじゃないかと思った?ね、思った? そんなあなたは同年代?(笑)
でもね、これがなんと全部で16本! しかもこれでお値段は 198円
夫はこのバナナをこの大きな房のまんまで買うのが子供の頃からの夢だったらしい。(笑)
そしてバナナを食べる時、夫は決まってこうつぶやく。
「子供の頃、バナナは高級品だったもんなぁ・・・
遠足の時バナナを持ってきてるのは金持ちの子だったしなぁ・・・」 と。^^
私も思い出す。
小学生の頃、母の誕生日に 「お母さん、誕生日に何したい?」 って聞いたところ、
「一度でいいからバナナをお腹いっぱい食べたい!^^」 と答えた母。(笑)
ちなみにその頃、私にとっての高級品は
葉っぱのついた生のパイナップルと桃の缶詰だったわ~^^
とにかく、新年早々、念願の夢がひとつ198円で叶った夫。^^
よかったね
でもって、お次はこの私・・・
その日買って帰ったアイス、エスキモー「pino」・・・
その中に
その中に・・・
あ、その中にぃ~~~ くどい!って?(^^ゞ
んじゃ、仕切り直して・・・
続きはCMⅡの後で。
な~~んてTBSごっこしたりして・・・(ゴメンゴメン^^;)
じゃん!! (て、今度は短っ!^^)
お星さまピノが入ってたのだぁ
何かいいことあるかなぁ。。。
願いが叶うといいなぁ。。。
☆追記☆ バナナのお値段入れるの忘れてて後から入れました!
2010年 お正月 [言葉の花束]
明けまして おめでとうございます。
今年もまたどうぞよろしくお願い申し上げます。
m(*_ _*)m
2010年のお正月。
暮れの30日からやってきた義母と共に家族4人で迎えたお正月。
慌ただしかった年末が嘘のように穏やかに始まったお正月。
大晦日には4人揃って年越しそばを食べ
元旦にはお雑煮やおせちを食べ
届いた年賀状に懐かしさを募らせ
初詣に行った近所の神社では皆の平安を祈り
お正月らしいお正月を過ごせたように思います。
三男からお歳暮代わりにもらったお節~
(自分で作ったものは次回UP予定・・・^^)
お花もお正月モードなら
娘P子の指先もお正月モード?^^
これ、P子が自分で塗ったり張ったり(笑)してるんです。
利き手じゃない左手で右手もそれなりにうまくやってるあたり
「そんなことより家の手伝いをしなさーーい!」と言うのも忘れて
なかなか器用だな~~って思ってしまった情けない母なのでありました。^^;
今回、我が家に3泊した義母は、滞在中体調を崩すこともなくずっと機嫌が良くて
(老人ホームは建物全体がとても暖かいので)
とにかくびっくりするくらいによく食べました。^^v
喋りまくるのは相変わらずで、
私は忙しいからしっかりお相手してくださいよ!とお願いしてた夫も
相変わらず自分のことだけに集中するマイペース振りで、
結局義母の話し相手は私なわけで・・・^^;
30日、なかなかやりたいことが進まず、義母が入浴中に買い物に出てしまった私。
帰ってくると、お風呂から上がって半分怒ったような半分泣きそうな義母が
「Pekoさん~~~!!」と私を呼びました。
何かと思って行くと、バスタブからうまく立ち上がれなくて何度も呼んだんだけど
誰も来てくれなくて難儀をしたという義母。
お風呂から出て浴室の暖房を切ろうとあれこれ触って、結局わけがわからなくなったとも。^^;
暖房もタイマーで切れるようになってるからどこも何も触らなくていいですからって
言ってあったんですけどね。^^;
そんなんでも、夫には何も言わない義母。言ってくるのは私にばかり。
私から夫に言っても、夫は「気がつかんかった」との一言だけ。
何事もなくてよかったけれど、入浴中は離れられないな・・・と反省致しました。
その義母を送りがてら、二日の午後には千葉県内にいる三男宅へ挨拶に行き
夕方には岐路に着きました。
6時頃の都心は車の流れもスムーズでした。
3日の昨日は掃除・洗濯・アイロンがけなどを午前中にやって
お昼を食べた後はソファーでぐっすり爆睡してしまいました。(^^ゞ
これが最高に気持ちよかったぁ~~^^v
さぁ~~て、今日から仕事始め。
利用者さんが待ってらっしゃいます。
今年も笑顔でいてもらえるよう、私もまた新たな気持ちで
お仕事 行ってきま~~っす!!^^v
2009年、お疲れさまでした! [言葉の花束]
残すところあとわずかとなった2009年。
今年最後の宅配便が届きました。
これも故郷からの毎年恒例のもの。
はい、紅白蒲鉾です
お雑煮やおせちに使います。
大好きな揚巻(あげまき)と皮でんぷら(=じゃこ天)
こちらは年越しそばにも使います。
どちらもこれぞふるさとの味~ というもの。^^
これで無事に年が越せそうです。^^v
蒲鉾って、その土地その土地でいろんな味がありますよね。
先日姉からもらった和歌山の蒲鉾・あしべ焼き・・・
こちらのはお魚感がほどよくあって、故郷のものとはまた違った味わいがありました。
昨日は黒豆を煮ました。
夫の大好物で、すぐさま自分でお鍋からお皿に取ってパクパク。
お夕飯に3人分と思って器に入れて出したものも一人で全部パクパク。
「そんなに食べたらお正月までになくなるぅ~~」 と私はハラハラ
忙しなくバタバタしている私をよそに、自分で作った梅酒をちびちび。
少しずつボトルに移し替えて楽しんでいる夫です。^^
その夫が先日、「いい言葉を見つけた!」 とご機嫌でした。
life well-lived なる言葉。
夫はこれに付け加えて
Ordinary life well-lived としたいそうな。
人生の終わりにこう言えたらいいなぁ・・・とのこと。
俺の人生、平凡かもしれないけどよく頑張ったなぁ・・・って感じですか?あってます?^^;
人生の終わりというよりも、夫はすでに今、そんな気分なのかもしれません。
昨日は義父の命日でした。亡くなって丸3年が経ちました。
いろいろありましたが(現在もいろいろありますが^^;)、夫はもう大丈夫・・・
と、確信しました。
「俺のモットーは頑張らないこと!」 と言いつつ、適度に頑張ってきたと思います。
私は私で 「すべての事は最善を成す為に起こる!」 と信じてやってきましたが
この調子で来年も適当に、適度に、穏やかな生活が送れればいいなぁ。。。
今日は義母を迎えに行ってきました。(今は近所の美容院へ行ってます。^^v)
3泊の予定で、2日に三男(夫の弟)の所へ連れて行きます。(三男宅は一泊の予定)
しばしの姑孝行を致すとしましょう。
この一年、気ままな当ブログにお越しいただいた方、本当にありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。m(_*)m
皆さま、よいお年をお迎えくださいませ。。。
母さん姉さん、ありがと~♪ [言葉の花束]
Xmas、実家の両親からは毎年恒例のプレゼントが届く。
それは私が大好きなチョコレート もちろん家族も大好き。^^
これが2段~♪ うふ。^^
同じ日、クール便も届いた。こちらも故郷から。
塩鮭~~ しかもカットしてあるから楽チン~^^
干し柿~~ しかも私の好きなレアな感じ。^^
ありがたやぁ~~あ、ありがたや。
お母さん、いつもありがとう~
そして昨日の朝は姉から突然の電話。
「数の子いらない?」
「いるいるぅ~~^^」
「じゃ、午後からなら行けるから持ってってあげる。駅までは来てくれる?」
「もちろん!駅まででいいの~?お安いご用で。^^」
て~ことで、駅前で待ち合わせ。
近くの喫茶店に入って、しばしお喋り。
もう田舎弁丸出しで喋って大笑いするヘンテコ姉妹。
自称・・・不叶姉妹
その姉が電車を乗り継いで持ってきてくれたのは数の子だけかと思ったら、ずっしりと重い荷物。^^;
りんご3個に神宗の昆布の佃煮、塩鮭に蒲鉾・・・それに能登の干物「わじまの朝」。^^
蒲鉾は見たことのないものだった。
丸濱のあしべ焼き・・・紀州名産だって。全然知らなかった。^^;
姉の話しぶりや表情がおもしろ過ぎて、私は笑いっぱなしだった。
姉のおもしろさをお伝えできないのが誠に残念。(笑)
「樽入りの奈良漬も発送したからね~。流石に重くて持ってこれないから。」
やったぁー
「ん?樽?み樽、きか樽、いわ樽・・・な~んてね。^^」
などと訳のわからぬことを言い合っては大爆笑。
ひとしきり先日終わったTVドラマ「仁」の話でも野風言葉で盛り上がり・・・(爆)
忙しい最中に電車を乗り継いで持ってきてくれた姉さん、ありがとうね!!
こうして故郷の母や姉から私は気にしてもらって、よくしてもらって・・・
本当に有り難いと思っている。
感謝感謝である。 m(_ _)m
*****
今日は朝からよく働きましたぁ~~^^
残りのカーテン洗って、窓拭きを全部すませて、サッシの溝も掃除して・・・
ガレージはデッキブラシでゴシゴシやって、でもこれは水遊びみたいで楽しかったぁ~(笑)
で、疲れまひた。。。(^^ゞ
今日は夫もリビング~ダイニングの床のワックスかけをしてくれ、
お夕飯のお味噌汁も作ってくれました。^^v
こちらにも感謝だね。ありがとう。。。m(_ _)m
さりげないサンタ♪ [言葉の花束]
ん?
あんな所から何かが・・・
足~
誰の・・・足?
あ、サンタさんだー
あんな所にこんな風に座ってるサンタさん
横にいるのがトナカイではなく、カンガルーなことはこの際見逃して~
あんな所って・・・実はこんな所なの。壁の上の方にある小さな窓。
数日前にさりげな~く置いてみたの。
でもね、だ~れも気付いてくれないから、自ら言っちゃったけど。(^^ゞ
娘曰く 「さりげなさ過ぎ!」
ですって。 ハハハ。^^;
我が家のさりげないサンタさんだから、いいのいいの^^
先日、可愛いお人形の置き物を見つけた。
娘が眠ってるベッドの足元にそぉ~~~っと置いといた。
娘が脱いだ靴下の横に。(笑)
朝、目覚めた娘はすぐにガサゴソと包みを開けて確認した後・・・
リビングにやってきて、「サンタさんが来てたぁーーー」 と叫んだ。^^v
どんなお人形かというと・・・ こんなの。
あ、でも、これ一つじゃないの。
ね。でも・・・ふたつでもないの。
全部で4つなの~~^^ 可愛いでしょ? マトリョーシカ状態。^^
ほらね。^^ 陶器でできてて、ちょっとずっしり。
なんか仲良さそうでいいでしょ?
ロシアのマトリョーシカ人形が気に入ってる娘にピッタリだと思ってプレゼント
娘曰く 「松村邦洋みたい・・・^^;」
だって。 ハッハッハ。^^;
確かに確かに・・・もうまっちゃんにしか見えないよぉ。。。
*****
私が秘かに読ませてもらっているブロガーさんのご家族が手術をなさった。
ご家族のご回復と平安を心からお祈り致しております。
どうかクリスマスの夜、皆さんの祈りが届きますように。。。
はやく あいたい♪ [言葉の花束]
はやく あいたい・・・
とは、息子P介の相方Qちゃんの言葉。
来年の出産を控えて、だんだんと立派になっていくお腹のBabyのことだ。^^
先日、娘P子が名古屋のP介&Qちゃん夫婦の家に遊びに行ってきた。
妹の訪問を喜んで、夜は遅くまでいろんな話で盛り上がったらしい。
私のこともネタにして大いに笑ったらしい。(プンプン!)
缶ビール数本とワイン2本を兄妹二人で空けたらしい。^^;
「久しぶりに飲み過ぎたなぁ・・・^^;」 とP介。
「あの二人、仲が良過ぎぃ~~^^」 とP子。
帰宅後は新婚家庭のお宅訪問の様子を写真を見せながらいろいろと教えてくれた。^^
Qちゃんは、いろんな小物を手作りして毎日を楽しんでいるそうだ。^^
上の写真の靴のほかに、帽子、枕、よだれかけなどなど。
義母のプロ級の刺繍とは違って、とても上手とは言えないものの
どれも一針一針に想いを込めて作った、手作り感いっぱいのあったか~いものだったそうだ。^^
写真からもその温かさは十分に伝わってくる。
Qちゃんのお母様によると、結婚前に針仕事などしてるのを見たことがないのでビックリしたという。^^
お腹のBabyは生まれる前からすでに幸せだなぁ~~と思う“ばあば”予備軍の私である。
Qちゃん、お腹の赤ちゃんの様子を検診に行くたびに報告してくれる。
「赤ちゃん、もう顔がP介さんそっくりなんですよ!
はやくあいたいですぅ~~^^」
と言って、携帯に送ってくれた妊娠8か月時の赤ちゃんのエコー写真を見て驚いた。
これがまあ~本当にP介そっくり!!(笑)
でも・・・Babyは女の子・・・の予定。。。(笑)
私も はやくあいたいな。。。
エコーの写真とそっくりな顔のP介^^
「P介さんにそっくりなので、早くあいたいです~♪」
「P介さんがいつも優しくしてくれるので、私は毎日幸せです♪」
姑の私にそんなことを言ってくれるQちゃんを、可愛い女性(ひと)だなぁ・・・と思う。^^
ていうか、ごちそうさま~~ だね。。。
気になる気になる気になる記・・・ [言葉の花束]
気になる記事を見つけた
横浜は赤レンガ倉庫近くにある「像の鼻テラス」でやっているイベント
『ガリバーの食卓展』なるもの。(⇒こちら)
更にそのテラス・スタッフによるブログ(12/5)では、その様子がよくわかる。(⇒こちら)
めっちゃ楽しそぉ~~~
写真で見るだけでもおもしろい
あのデッカイだけでも持ってみたい
食べるのも飲むのも至難の業・・・というのがいいなぁ~
しかしながらこれ、ガリバーの食卓ではあってもガリバーの気分にはなれないだろうなぁ~
こちらの気分は「ジャックと豆の木」のジャック気分だろう~~~
そしてそして、こちらも気になる・・・ ゾウノハナソフトクリーム (⇒こちら)
うぅぅ~~~気になる、気になる。。。
おまじないの言葉 [言葉の花束]
子供の頃、おまじないの言葉と言えば
「ビビデバビデブー♪」 だった私。^^
でも最近は違います。
最近のおまじないは・・・
「非勝四原則」
勝たない
勝てない
勝ちたくない
勝ちたい人には勝たせてあげる
全国亭主関白協会の「非勝三原則」に最後の一文を加えさせてもらいました。
全亭協のこの原則に対する深い(?)訳はちょいと首を傾げるけれど(笑)
私なりには納得できる言葉であり、これが今の私のおまじない。^^
「堪えることが多くてそれが嫌!」と愚痴る義母にも教えてあげました。
どう捉えるかは義母次第だけどね。^^v
ちなみに人間関係を構築する上でのおまじないです。^^
**********
「山本五十六の教え」
〇やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ。
〇話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず。
〇やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず。
これは勝手ながら、夫のおまじない候補として書きとめておきましょう。^^;
SW2009(Ⅳ) 祝・ダイヤモンド婚式 [言葉の花束]
今回の帰省には大きな目的がありました。
それは、両親のダイヤモンド婚式を盛大に(謎)お祝いすること
実は、本当の結婚記念日は4月10日。
そう、天皇・皇后両陛下と同じなのです。^^
陛下たちは今年金婚式でしたが、我が両親は同じ日に結婚60周年
ダイヤモンド婚式を迎えたのです。
しかしながらその頃は父の体調もまだ十分には戻っておらず
そんな時に皆で集まっても疲れさせるだけだろうからと
お花を贈ってささやかなお祝いをするだけにとどめました。
次に皆が集まる私の息子の結婚式前後で・・・との案も出ましたが
いかんせん、父がちゃんと名古屋まで出てこられるかどうかは当日までわからない
という状況で予定を立てることができず、
尚且つ、我が夫の○○家のお祝い事で集まるのだから
私の夫や特に義母に対して失礼になってはいけないとの思いもあり、見送りました。
今回は前々から姉一家が嫁ぎ先のお墓参りや親戚回りを家族全員でして
実家にも寄るという計画を立てており、だったら・・・ということで、その時に合わせて私も帰省し
延び延びになってたお祝いをしましょう!!ということになったのです。
残念ながら全員参加というわけにはいかず、我が家からは私だけ、
姉のところも次男が急遽ライブが入ってしまって欠席、
兄のところの次男坊(美術系大学ファッションデザイン科)も
ヨーロッパでの作品展示会というワクワクするような研修旅行のため参加できず、
いつも企画進行記録となんでもやってくれる宴会部長の弟も
外せない予定が入ってしまい不参加で、嫁が弟家族(含W受験の息子2人)を代表しての
参加となりました。
このお祝い会、両親には内密にしてありました。
姉一家が来るからみんなでお食事をしましょう~とだけ伝えてありました。
総勢12人での食事会。^^
場所は森の中のホテルのレストラン
席について、兄が進行役をやり、義兄(姉の夫)の乾杯の音頭で
ダイヤモンド婚式のお祝いという衝撃の発表をし、皆で乾杯をしました。
両親共々、非常に驚いたようでしたが、感激も一入だったようで
作戦は大成功
まずはお祝いのケーキと記念品を。
名入れの酒はこちらから
毎晩晩酌をするのが楽しみな父にはもってこいの記念品でしょう~^^v
刺繍の名前とメッセージ入りラベルです。
この日のお食事は・・・
食前のお愉しみは梨と生ハム♪ 私の飲み物は「桃とみかんのひそひそ話」^^
このほかに、お祝いのケーキもしっかりと切り分けていただきましたっ!!^^v
食事の途中からは孫たちが一人ずつ、近況報告をしました。
今回来れなかった人たちのことは、それぞれの親や兄弟たちが伝えました。
私は6月の息子の結婚式でのお礼を言い、夫のこと・息子夫婦のこと・娘のことを
それぞれ少しずつ話しました。
兄のところの長男は折角入った大学に5年ほど通った末に中退し、
どうなることかと皆を心配させましたが、なんとか地元企業に就職もでき、
しかも今は実家から通えるという甥っ子にも兄たちにもじじばばにも一番いい形だということで、
本当によかったなぁ・・・と思いました。
この甥っ子がおじいちゃんのモノマネをした時にはかなり盛り上がりました。(笑)
おじいちゃんがおばあちゃんを呼ぶ時の真似をしたのです。
「おーい」 「おーーい」 「おーーい」 「おーーい」 ってね。
これがもうそっくりで大爆笑~
最初は控え目に、でも左耳が聞こえない母にはなかなか気付いてもらえないことも多く
段々と声を大きく太くする父。ほんと、そっくりでした。^^
甥っ子にこんな隠し芸があったなんて・・・(爆)
その妹に当たる高校生の姪っ子は、修学旅行で貴重な経験をしてきたそうです。
沖縄へ行った修学旅行では沖縄戦戦没者の名前が刻まれている「平和の礎(いしじ)」へ
献花をする役を果たしてきたのです。
おじいちゃんの兄の名前もしっかり見つけてきたと話してくれました。
ありがとうR子、そして先生たち。m(_″_)m (伯父のことはこちら)
みんなで大笑いしたり感心したりまたまた大笑いしたり(笑)の近況報告が一通り終わる頃には
おじいちゃんの舌も舌好調、いや絶好調
おじいちゃんも気分上々で次から次にしゃべるしゃべる。(笑)
後半はもう父の独演会のようでありました。^^
疲れさせてはいけないと思い一旦区切って、
おじいちゃんには最後の挨拶をしてもらうために少し休憩をしてもらおうと父に言ったその途端、
ちょいとハイテンションになり過ぎてた父の口から入れ歯が飛び出してしまったから
さぁ~大変
またまたみんなは大爆笑~~
本人、何やらふがふが言い訳などしてるようでしたが、これが何を言ってるのか
さっぱりわからない。
更に大爆笑のみんな。
母などは笑い過ぎてしばらくは立ち上がれないくらいでありました。^^;
(私が!)洗ってきた歯を入れ直して、いよいよ父の最後の挨拶・・・
「今日は本当に思いもかけないお祝いに、感激の涙がこぼれ落ちそうでしたが
その涙よりも先にあろうことか、入れ歯がこぼれ落ちてしまいましたっっ」
な~んて挨拶を始めたもんだから、またまたみんなで大爆笑
それでもしっかりとお礼の挨拶をして、その感激は皆に十分伝わりました。
母にも一言言ってもらいたかったのですが、母は
「私が言いたいこと全部、おじいちゃんが言ってくれました。
おじいちゃんと全く同じ気持ちです。ありがとう!m(__)m」とだけ言いました。
喜んでくれてる両親を見て、こうやってみんなが仲良く集まることが何よりの親孝行かな・・・
って思いました。
遅れたお祝いではあったけれど、やってよかったと思いました。
去年、父の誕生日と母の喜寿のお祝いをやった時には (過去記事参照)
母に贈られた感謝状を見て「俺も感謝状がよかったなぁ・・・」と、ぼそっと呟いた父。
今回はどうしよう・・・と弟と相談した結果、父への感謝状は米寿の時の楽しみに
とっておこうということになりました。^^
人前で話す機会の多かった父。
酒造りを辞めていろんな役(お金にはならないお役ばっかり^^;)からも引退をした後は
大勢の人の前で話すこともなくなっていた父。
でも今回喋る毎に滑舌は良くなるし抑揚までつけて楽しそうに喋る父を目の当たりにして、
この人は人前で話をする機会があれば、もっと元気になるのかもしれないな・・・
な~んてことをふと思った私でした。
父(85歳)、母(78歳)・・・
18で父のところにお嫁に来て、家のことはすべて祖母に教わったという母。
素直な素直な性格だったからこそ、この家で、この父と長くうまくやってこれたんだろうな~
今回の滞在でもやっぱり私は思いました。母はエライ と。^^
父のお世話で毎日疲れるだろうけど、父が元気でいられるのは間違いなくこの母のお陰です。
どうか、父よりも長生きしてほしい・・・と母には願っています。
そして、この日この場に居られたことが何より幸せだった私でした。(夫とP子にも感謝♪)
二人とも本当におめでとう
ロッジで迎えた清々しい朝の風景
気になる言葉たち(覚書として) [言葉の花束]
祈り
大きなことを成し遂げるために
力をあたえてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった
偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことをするようにと病気を賜った
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった
(サイゼリヤ会長正垣氏がお母様からもらった言葉)
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どんなことも当たり前だと思わないでね。
その日その時を感謝して、一日一日を大切に過ごしてね。
(2年前に連れ合いを亡くした叔母が私にかけてくれた言葉)
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遠足は家に帰るまでが遠足って言うだろ?
ガキのケンカは仲直りするまでがケンカだ。
(草彅君扮する彦一の言葉 TVドラマ『任侠ヘルパー』にて)
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私は明日からしばらくお暇もらって実家に帰らせてもらいます。^^
私がいない間に義母が家にきます。
一泊ですが夫の親孝行ですね。義母も喜んでいます。^^v
私も元気なうちに親孝行してきます。
世話かけるだけかもしれませんが、それもまた良しでしょう。(^^ゞ
暑かったり肌寒かったり気温の差が激しい毎日・・・
皆さまもどうかお気をつけて。。。