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米寿&傘寿のお祝い会♪ [言葉の花束]


先日、父の米寿(数え)&母の傘寿(満)のお祝い会が開かれた。
出席者19名。欠席3名。

会場となったのは郷土料理などを食べさせてくれるお店。
父は大腿骨を手術した関係で、正座やあぐらを組むことができない。
その点このお店には、和室にテーブル&椅子をセットできる部屋があるので大助かり。
父にもポニョ子にも優しいしつらえだ。

P介一家が参加することは秘密にしていたので、会の前にP介の姿を見つけた母は
もうビックリ仰天!
その後Qちゃんとポニョ子を見つけて2度ビックリ!!
ただでさえデカイ目玉が飛び出しそうになっていた。(笑)

 

長寿掛け軸.jpg お祝い会ということで、こんなおめでたい掛け軸が!

   

今回も例のごとく、国旗・家旗掲揚~から始まったのだが・・・
なんと今回は、真ん中にデーーーンとそびえ立つ掲揚台に家旗が賑々しく
電動で上がっていくではないか!!(笑)
なんでも兄が製作し、前日に完成したばかりだという。
その立派さは圧巻であったが、弟が作った可愛らしい掲揚台も、なんとも楽しいではないか。

家旗掲揚.jpg    国旗家旗掲揚.jpg

  

父と母にはお色直しをしてもらい・・・^^v

お色直し.jpg

  

ピコピコトンカチの合図でくす玉が割れ、「おめでとう~~!!」

くす玉.jpg

  

開会の挨拶やら祝辞やらは、皆、このキティちゃんマイクを持って。(笑)
上場企業の社長である義兄のこの姿は、社内報に載せたいくらいのベストショットだ!

キティちゃんマイク.jpg

おじいちゃん・おばあちゃんもキティちゃんマイクを持って挨拶をした。
二人ともしっかりした声で、仲良くお礼の言葉を言った。

  

両親には自動掃除機『ルンバ』をプレゼント。
その仕事っぷりを兄と弟が確かめるべく前もってビデオ撮影をしてきており、
その場で皆に披露。

『ルンバ』の上に鏡餅を乗っけて顔を描いたのは兄である。(笑)
昔っからチビ太とかドナルドダックの絵が得意中の得意だった兄なのである。

ルンバー1.jpg

 

弟の発案で、チョコレートのプレゼントもあった。
チロルチョコである。(笑)
写真のチョイスが最高~~^^v

祝チロルチョコ.jpg  祝・チロルチョコ.jpg

 

余興は、姉による「世界一受けたくない授業」・・・(笑)
右手で3拍子、左手で2拍子のリズムを刻むことから始まった音楽の授業。
5拍子の曲紹介(「テイク・ファイブ」「スパイ大作戦ミッション・インポッシブル」「ゴジラ」など)から
「シラミの歌」大合唱、「じんじろげ(森山加代子)」の歌熱唱まで。
続いては国語の授業。
孫→曾孫→玄孫→来孫→昆孫→仍孫→雲孫→あとは決まった呼び方はなし。
というお勉強などなど。

世界一受けたくない授業?.jpg 世界一受けたくない授業ー2.jpg

  

盛り上がってきたところで感謝状&表彰状贈呈。
おじいちゃんには感謝状を。おばあちゃんには表彰状を。

念願の感謝状を受け取ったおじいちゃん、おばあちゃんのを横目で見てこう言った。
父「お前は感謝状じゃないのか?」
母「はい、私は表彰状ですよ。」
父「そうか、よし!」
(爆)(爆)(爆)

感謝状.jpg

表彰状.jpg

  

娘P子は欠席だったが、心のこもったお手紙を書いてくれていた。
ご先祖様から1歳のポニョ子まで、みんなが繋がっていることに触れ、
おじいちゃんとおばあちゃんに感謝・・・というような、
壮大なテーマのメッセージだった。^^
父も母も大変喜んでくれ、代読した私も涙が出そうであった。

 

美味しかったお料理の数々~♪

料理ー1.jpg 料理ー2.jpg

料理ー3.jpg 料理ー6.jpg

料理ー4.jpg 料理ー5.jpg

料理ー7.jpg 料理ー8.jpg

料理ー9.jpg

 

おじいちゃん・おばあちゃんからは、お礼として、それぞれの家族に
写真立てとアルバムが渡された。
この日の写真を入れなくっちゃね!^^

  

国旗・家旗後納、写真撮影で会は終わった。
父母だけでなく皆が喜んだ、賑やかで楽しいお祝い会だった。^^v

 

*****

  

『ルンバ』はなかなかいい仕事をしてくれるそうだ。
お掃除が終われば自分で基地にもどる、健気なやつらしい。

ルンバー2.jpg

 

 


タグ:米寿 傘寿
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いざ郷里へ・・・ [言葉の花束]

 
本日、父の米寿(数え)のお祝いと、母の傘寿(満)のお祝いとが
郷里の和食屋さんで行われる。

それに先だって先日、宴会部長の弟から役割分担のメールが来た。

   

お疲れ様です!
いよいよ近づいてまいりました。

皆様の大まかな役割をお知らせいたしますので、心の準備をお願いいたします。

開会挨拶・・・・・兄
祝辞・・・・・・・・・姉婿
お祝いの記念品贈呈
  ①自動掃除機ルンバ目録・・・兄嫁
  ②ハズキルーペ目録・・・・・・・姉の長男
  ③チョコ詰め合わせ・・・・・・・・ポニョ子&Qちゃん
花束贈呈・・・・・兄の娘&姉の娘
乾杯・・・・・・・・・P夫
メッセージ披露(欠席者)
  ①姉の次男・・・姉
  ②娘P子・・・・・・Peko
  ③兄の次男・・・兄の長男
父母からの記念品・フォトブック贈呈・・・弟嫁
余興
  「不叶姉妹の美姉?による世界一受けたくない授業」・・・姉
  他・・・誰でも
感謝状贈呈・・・・・・・・・P介
表彰状贈呈・・・・・・・・・兄の長男
色紙贈呈&中締め・・・弟               以上。

 

息子P介一家が参加することは父母には内緒である。
初曾孫ポニョ子とのご対面はサプライズにしよう~!!との意見で一致した次第。
 

いやはや、どんなことになりますやら。。。

この時期に両親揃ってのお祝い会を開くことができる有り難さをしみじみ感じつつ・・・

行ってきま~~っす。。。

  

*****

   

昨年、慢性心不全・低アルドステロン症の治療とペースメーカー入れ替え手術のため
6月28日に緊急入院、何度かの意識混濁がありながらも、10月1日に無事退院した父。
退院後は低酸素状態が発覚し、24時間酸素吸入が必要となったが、
母や兄家族の温かく、時に厳しい(?)世話の下、塩加減も酸素加減も今のことろ安定し
まずまずの調子である。 

2010メール便-12’.jpg   2010メール便-5’.jpg   2010メール便-18’.jpg
リハビリ中~            退院が決まって~           退院直前のおすまし~

2010メール便-21’.jpg             酸素マスク.jpg  
退院の日、久しぶりの晩酌~       就寝時装着の酸素マスク練習中~
 

 


タグ:米寿 傘寿
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2011 母の日 [言葉の花束]


日曜日の母の日・・・

カーネーションをもらった。

息子夫婦と娘から。

ありがとう。

母として。

お部屋や食卓に飾って心和ませてもらっている。^^

 

郷里の母には洋食器、5枚組のデザートプレートを送った。

3月に行った時に、普段よく使うお皿がハゲハゲ・カケカケになってることに気付いたから。

ありがとう。

娘として。

周りについた小さい薔薇の花模様がなんとも可愛らしいお皿。

母からは、新婚さんが使うみたいに可愛いお皿をありがとう~とお礼の電話がきた。

新婚さんの気分で毎日使っていいよ。^^

 

義母には、義母が好きそうな春・夏用のストールをプレゼント。

ありがとう。

きっとお似合いだと思うわ。

嫁として。

義母からは先日に続いて、またお礼の葉書が届いた。
 

  街並には名もない色とりどりの小さな草花が咲いて心を浮き立たせてくれます。

  今日はまた、清々しいストール、私の好みぴったりです。

  嬉しく嬉しく、胸がドッキンドッキンしています。有難う。

  背筋をシャンとして、使わせてもらいます。

  今日は五月晴れですので、ベージュのワンピースの衿元を飾らせて出かけて参ります。

  先日以来、重ね重ね有難うございました。       5月8日 昼

  

いただくことの幸せと、贈った物を喜んでもらえた幸せ・・・

これらをWで感じさせてもらった母の日だった。

ありがとう。。。


 

 hahanohi-1.jpg  hahanohi-2.jpg

  

 


タグ:母の日
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義母の傘寿のお祝い [言葉の花束]


今年の連休・・・

名古屋から息子一家がやってきた。
約1週間。
前半は義母も呼んで、賑やかに賑やかに過ごした。

中日には夫の弟家族とも合流して食事会を予定していた。
そこで義母には内緒で、この日義母の傘寿(昨年10月で80歳)のお祝いをしようと提案した。
夫は「うちではそんなことはしなくていいんだ。でもやりたかったらどうぞ。」と
私に変な丸投げをしてきたので、それならと、私が役割分担させてもらった。
と言っても、大した役割ではないが。^^;

開会の言葉・・・夫の弟
乾杯の音頭・・・弟家長女の婿殿
祝辞・・・・・・・・・夫
近況報告・・・・・各々
記念品贈呈・・・弟家長女の長男(3歳ー義母の初曾孫)
一言・・・・・・・・・義母
閉会の言葉・・・我が家の息子

記念品には義母が大好きな銀座・和光へ行って、義母が好きそうなボールペンをチョイス。
傘にしようかとも思ったが、ワンタッチ式のものがなく、値段も予算オーバーになるので断念。
丁度和光ブランドできれいなボールペンがあったので購入。10,500円也。

実は、今度の週末、私の両親のお祝いの会が故郷で開かれる。
父が数えで88歳、母が満で80歳になった今年、
米寿と傘寿のお祝いを一緒にしようということになったのだ。
昨年夏には3ヶ月の入院をして難儀をした両親を、落ち着いている今、
なんとか元気付けたいとの思いもあり、私の兄弟4人+嫁2人で相談して決めた。

義母と私の母とは3ヶ月違いの同い年。
なのに、自分の母だけお祝いをするというのはどうも気が引ける。
そこで義母のお祝いもこの機にやってあげたら・・・と思った次第。

夫の弟家次女家族3人と我が家の娘は体調やら仕事やらで残念ながら欠席。
出席者は大人9人と幼児3人。
場所は新橋、せとうち旬彩館「かおりひめ」。
愛媛&香川の美味しいものが食べられるので、義母には打って付け!

義母に内緒にはしていたものの、食事会が近付いてくると義母からは毎日こう言われた。
「私も去年80になったのに、お祝いをしようとかって、ちっとも盛り上がらないね。」
去年10月の誕生日には私と娘とでケーキとプレゼントを持ってサプライズ訪問したのを
忘れちゃったんだろうか?
それともそんなもんじゃ物足りなかった?
挙句に
「せっかくみんなが集まるんだから、私の傘寿のお祝いってことで、私にご馳走させてよ。」
発言まで。

が、そんなことは想定内だったので、
その時までひたすら義母の執拗な傘寿アピールの言葉は右から左に聞き流した。
そう言えば、ムーディーって、何してるんだろ・・・

さて食事会当日。
前もって弟家にも役割を伝えていたので、弟も婿殿も快くすんなりとやってくれた。
が、我が夫。
「ではここで、P夫よりお祝いの言葉を・・・」の声に
「そんなのいいよ。続けてお母さん(私のこと)が言えば?」と、往生際の悪いこと悪いこと。
「この期に及んで何言ってんの?はい、言ってください!」と私。
「じゃあ、もうちょっとあとだったら言うよ。」と夫。
で、しばらくの後、再度振ったところ、今度は
「ワインを1杯飲んでから!」と夫。

結果、夫は自分でハードルを上げてしまった。
義母の方はというと、夫が2度も引き延ばしたことで、
どんなに嬉しい感動の言葉を言ってくれるのかと、その期待感は否応なく高まってしまったわけで。

ワインを飲んで、さぁ~いよいよ夫のお祝いの言葉の時・・・
私は気付かず息子から聞いたのだが、
義母はおもむろにハンドバッグからハンカチを取り出して、泣く準備に入ったそうだ。
可愛い息子のお祝いの言葉に泣く気満々だった義母。

ところがすっとこどっこい、夫のお祝いの言葉はどこか中途半端で、義母は泣けず。^^;
最後の「もうちょっとだけ長生きして下さい。」との〆の言葉に
「え~~もうちょっとだけ~~!?」とのご不満の言葉を発した義母。
一同大爆笑であった。

3歳の初曾孫がプレゼントを渡し、お礼の言葉を義母が言い、
最後は息子が締めて、無事に義母の傘寿のお祝い会が終わった。

その日義母は私たちと別れ、弟家へと帰って行った。

ホームに帰った義母からお礼状が届いた。
勿論、あの記念のボールペンで書かれたものだ。

  

まだ幸せの余韻にひたって居ります。

此の度は、充分なお世話をいただき、有難うございました。

感謝申し上げます。

思いもよらない傘寿のお祝いに、感謝して心が打ちふるえて居ります。

こんなババですが大事にして下さって有難う。

少しはお利口さんにならなくちゃネ。           合掌

 

[手(チョキ)][わーい(嬉しい顔)][手(チョキ)]

 

お礼の電話もかかってきた。

「傘寿だなんて、ちっとも頭になくって・・・」

[がく~(落胆した顔)] どの口が言うんじゃぁーーー[exclamation×2][exclamation×2][exclamation×2]

何枚も上手の義母なのであった。。。
  


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ちゅっちゅ♪ [言葉の花束]

  

昨年末・・・

狭い我が家に息子家族&義母がやってきて

てんやわんやの賑やかな賑やかなお正月となりました。(笑)

ゆっくりと年賀状を見ることもできない忙しさ。^^;

なんとか無事に皆でお正月を過ごし、それぞれが引き上げて行った後は

身体は疲れていましたが、なんとも言えない充実感に包まれた今年の年明けでした。

実家の母は、何十年もこの何倍も忙しいお正月を送ってきたんだなぁ・・・と

改めてしみじみ思いました。

感謝です[るんるん]

 

 

ちゅっちゅ♪.jpg

 

この小さくて、でも大きな大きな存在のポニョ子に

じーじ&ばーば&大ばーばはとっても癒されました~~[揺れるハート]

 

ありがとうね、ポニョ子[るんるん]

頑張れ、パパ&ママ[るんるん]

 
 


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君の瞳は・・・ [言葉の花束]

 

瞳♪.jpg

 

ポニョ子よ・・・

君は何を見つめて何想う

 

どうか子供たちが生きやすい世界となりますように。。。 

 


タグ: ポニョ子
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神無月にかこまれて、東へ西へ♪ [言葉の花束]


先週、いや、先々週になるのかな?^^;
名古屋の息子宅へ行ってきました。
7月に行った時にはじーじ&ばーば&超ばーば(義母)の3人で行ったのですが、
今回は義母ではなく娘P子と3人で。

ポニョ子も下の前歯2本が生えてきて、伝い歩きもできるようになり
文字通りすくすくと育っており、感謝です。
いっぱいポニョ子に遊んでもらいました。^^v

ただね・・・男の人に対して人見知りが強くて・・・
私は抱っこもできるし、笑顔もいっぱい見せてくれるんだけど
夫とは目が合うと、なぜか泣き出してしまうポニョ子。(笑)
じーじがあやそうとすればするほど大泣き状態。
一日目は全くだめで、抱っこもさせてもらえなかった可哀想なじーじ。(笑)

2日目になって、ようやく笑顔を見せてくれるようになったポニョ子。
でも、これ以上は寄って行けませんでした。

IMG_1088''.jpg

微妙な距離感。(笑)
それでも、ちゃんと見つめ合うことができて、笑顔を見せてくれたので、
じーじはそれだけで満足でした。^^v
 

 

次の週は福島県は郡山に住む夫の友人から遊びにおいで~とのお誘いがあったのですが
私は今日からまた実家へ行く予定にしていたので、夫一人で行ってもらいました。
無理はできないお年頃ですよって。(^^ゞ

で、父の様子見と、母のストレス軽減のために(実は私のためでもある!)
今週いっぱいは実家で過ごしてきます。

実家では酒蔵ライブもあるようなので、楽しみ~[グッド(上向き矢印)]

ではでは行ってきます。。。

 

[るんるん]神無月にかこまれて

 

[るんるん]東へ西へ

 


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父の入院と退院 [言葉の花束]


ご報告が遅くなりました。

6月末に入院しておりました父が、先日、めでたく退院いたしました!!

86歳。3ヶ月と少しの入院生活から、よく復活してくれました。^^v

 

以下、書き留めておいたもの、メールなどを覚え書きとして・・・

 

【6月28日】

父が入院した。

春先、ヘルペスになってからおかしくなった。
ヘルペスが治っても調子が戻らず、食欲も全くなくて
母が溜息ばかりついていた。

で、夜中、息苦しそうにしてたり足がむくんだりしたことで
診てもらったところ、即入院ということに。

肺に水が溜まっていて真っ白になってたそうだ。
塩分も不足。
心臓も弱ってるらしい。
ペースメーカーを入れてても、歳には勝てないのか。

慢性心不全との診断。
集中治療室に入れられた。

また元気になってくれればいいのだが。。。

 

【入院2日目】

今日の父は足のむくみが劇的に解消され
心臓の音もしっかりとしてきたそうだ。

が、何分高齢のため、いつ心臓が止まらないとも限らないという、
まだまだ安心はできない状況。

それでも一般病棟が空けば、集中治療室からそちらに移ってもいいと
言われたそうだ。

ひとまずやれやれ・・・かな。

このまま回復に向かってほしい。

この集中治療室での面会は厳しくて、
1日3回、1回15分、家族2名に限る・・・というもの。

何事も母がそばにいないとだめな父と
そんな寂しがり屋の父を心配してやまない母。
どちらもが姿が見えない辛さを抱えてしまうので
早く一般病棟に移った方が、お互いのためだろう。

あとは、母がしっかりと休む時間を確保してくれればいいんだけれど・・・。

 

【入院3日目】

昨日の午後、父は一般病棟に移った。

今日、母はお昼前ごろに病院へ着き、夕食後まで父に付き添った。

夕方の回診時、先生が父に訊いた。
「Mさん、ここはどこですか?」
「ここは〇〇〇市立病院です。」と父は答えた。

「今朝訊いた時にはわからなかったですもんね。^^
 『ここはどこですか?私がここにいることを
  女房は知ってるんでしょうか?』
 って言ってましたよね。
 奥さんは毎日来てるじゃないですか~って言ったんですけどね。^^;」
と先生。

酸素不足で呼吸が苦しそうなのに、父本人は聞かれても
「たいしたことはないです」「苦しくないです」と。
「足がちょっとむくんだだけで、どうして入院なんだ?」とも。

認知症?かなりキテる?

明日は胸のレントゲンと、カテーテルの検査もあるそうだ。

ちょっと切なくなる。。。

 

【入院5日目】

一昨日一般病棟に移った父。
まだ肺には水が溜まってるらしくて、24時間点滴状態。
おしっこの管は取れた。

4人部屋での父の周りには、いろいろ機材も置いてあって
夜、母が付き添いのために泊れるようなスペースはなかった。
父も納得の上で帰宅し家で休んだ母だったが、
父のことが気になって、なかなか眠れなかったと言う。

父は父で、看護師さんの話では、家に帰る!と言って
自分で点滴を外したらしい。
本人、覚えてないそうだが。^^;

母は兄たちとも相談して、昨日は気兼ねなく過ごせる個室に移った。
兄嫁の話では、居心地の良さそうな個室で
ソファーも寝られるようになってるとの事。
早速昨夜から母はお泊り保育、いや、お泊り介護となった。

今日、母に電話すると、かなり疲れた様子。
一応寝られるようにはなってるソファーだそうだが、
あまりにも細くて、ちょっと動くと落ちそうになって
なかなか眠れなかったとの事。

おまけに父のトイレ介助が夜中にも何度もあったとかで
本当にしんどそうだった。

来週、一度行った方がいいかなぁ。。。

我が身の今の体調が恨めしい。。。

 

【入院7日目】

昨日、姉と相談して、時間差で帰省することに決めた。
まずは私が6~8日の予定で帰ることにした。

今朝、母に電話を入れた所、父の様子がおかしいとの事。
なかなか起きなくて、ゆすっても目も開かないという。
珍しく夜中も起こされることがなくてぐっすり眠ったというが、
父の方は、どうしたことか、オムツからも尿が漏れて、
びしょ濡れになってたそうだ。
意識混濁を起こしていたのだ。

この病院、ちょっとあてにならないところがある。
前に心筋梗塞で入院した時にも同じようなことがあった。
父の場合、Na濃度が低くなるととたんに元気がなくなるので
要注意との話をしてあったにもかかわらず、
あまり気にしてもらってなかった。

今回も事前に言ってたらしいが、担当の先生が12日までの休みに入ると
誰も回診にも来てくれないなど、なんだか頼りない限りだ。

兄は、普段父が一番お世話になっていて父のことを一番よく知っている
この病院の元院長・現〇〇診療所のK先生に相談した。
するとその先生がすぐにいろいろ話をしてくださって、
なんとか対応をしてくれるようになった。

以下、兄からのメール

「検査結果と治療方針」

 主治医不在のため代理の先生来室。
 血液検査の途中結果、CLイオン値が低いのでNaも低いと思われる。
 11時半過ぎラクテック注点滴(排尿促進して肺の水を出す)を
 少し減らす。
 明日採尿して、血液検査の結果と合わせて診断する予定。
 5分後再来室。やはりNa低い。
 120以下で意識混濁が起こるところ、110しかない。
 Na補給の整理食塩液点滴始める。
 排尿促進押さえれば肺に水が溜まって呼吸が苦しくなるし、
 促進すればNaも排出されて減る。
 心不全の治療にはこの問題がつきまとう。
 本人は低Naの傾向あり、高齢でもあり、微妙にバランスを取る必要が
 ある。
 食事が摂れない点は、すぐには心配しないでいい。
 長引けば栄養剤を点滴する必要あるが、今の治療には支障となるので
 当面、今の治療を優先する。
 
 基本はおやすみモード。
 今日の出された昼食は、おばあちゃんが頂くことにしました。


兄のはからいで、母は家に帰ってゆっくり休むことに。
母に代わって、今日の付き添いは兄。
長くなるかもしれないから、母には体力温存を心がけるよう言った。
付き添うだけでも疲れるものだから。

やっぱりネックとなったNa。
微妙なところでバランスを取りながら、なんとか乗り切ってほしい!!


 

【兄の付き添い当番】

4日の夕方兄からメール

 時折目が覚めた時の反応が今朝より出てきたよう。
 おばあちゃんが「H(兄)と交代します」と言ったら
 「ああ」と返事。
 解って返事したかは不明。
 基本まだ睡眠モードなので食事は無理。
 昼食はおばあちゃん、晩飯は私が代食。
 今晩は私が泊ります。
 明日は血液と尿の検査とレントゲンの予定。


兄が泊ってくれて母も助かったことだろう。


5日朝のメール。

「意識かなり明瞭、意味時々不明瞭」

 おはよー。
 意識はかなり戻って、反応もはっきりしてきた。
 ここはどこ?なにしよるん?を忘れてた由。
 採尿・採血共に早朝(深夜?^^;)済んで、後はレントゲン。
 詳しくは号外にて。


「号外!東703号室に朝がくる」

 22時  
  トイレどこぞ?
  看護師呼ぶ。
  看護師A登場。
  何時ですか?
 22時
  尿瓶にそこそこ溜まる。
  再び今何時ぞ?
 22時4分
  今何時ぞ?
 22時7分
  奥さんは?
  誰の?
  お前のよ。
  家におるよ。
  そうか、えらいのぉ。
  ・・・
  今何時ぞ?
 22時12分
  遅いの、帰らんのか?
  今日は俺が泊るよ。
  奥さんは?
  家におるよ。
  悪いのぉ。
  ・・・
  トイレは?
  オムツしとるから、そのまましたらええと看護師さんが言ってたよ。
  かまんのか?
  大丈夫。
  今何時ぞ?
 22時42分
  トイレはないんか?
  オムツしとるけん、そのまましていいよ。
  ・・・
  今日はどしたんぞ?
  おばあちゃんと交代したんよ。
  結婚式か?
  ???
  ・・・
  今日はどしたんぞ?ここは〇〇か?
  〇〇〇だよ。
  結婚式か?
  おじいちゃんの治療しとるんよ。
  自分はどうなんぞ?
  昨晩からほとんど眠りっぱなしやったんよ。
  ようなっとるんか?
  ようなっとるよ。こうして話せるようになったし。
  今何時ぞ?
  23時23分。

  看護師A巡回。
  今何時ですか?
  00時00分。

  がさごそ。
  おしっこはそのままオムツにすればいいよ。
  今何時ぞ?
  00時10分。

  がさごそ。
  おしっこはそのままおむつにするんぜ。
  うんちはいくまいが?
  うんちもかまん。
  今何時ぞ?
  01時00分。

  看護師B巡回。濡れたオムツと寝間着交換。
  今何時ですか?
  01時42分。

  今何時ぞ?
  01時47分。
  まだ寝んのか?
  ^^;^^;^^;
  遅くまで起きとる訳にはいくまいが。
  ^^;^^;^^;
  ・・・
  おい!今何時ぞ?
  02時57分。
  しょんべんしたいんじゃが、このままでかまん言うたかの?
  うん。かまんかまん。
  ・・・がさごそ
  そのままでいいんだよ。
  具合悪うての。
  それじゃ看護師さん呼ばんと。
  今何時ぞ?
  03時54分。
  呼ぶのはどこぞ?
  はい、これ。

  看護師B登場。おしっこを尿瓶に採って「これを検査に回します」

  今何時ぞ?
  4時。
  4回繰り返し。
  もう寝んか?
  ^^;^^;^^;
  君の家は〇〇か?
  違うよ、おじいちゃんと同じ〇〇よ。
  そうか、ご苦労さんじゃのう。
  ナースコールボタンをいじっているのに気付いて・・・
  また呼ぶの?
  いや、時間を見るの。
  そのボタンじゃ時間はわからんよ。押すと看護師さん来るよ。
  案の定、看護師C登場。
  どうしたの?
  時間を見たくて・・・今何時ですか?
  4時過ぎ。
  ありがとう。

 04時22分
  看護師B登場。
  ふと見ると、ナースコールボタンをしっかり握りしめ、軽いイビキを
  かいている。それを見た看護師曰く
  ついでに採血します。
  転んでもただでは起きないナース魂!

  おい!何時ぞ?
  4時半。窓の外、うっすらと明るさが・・・
  まだ寝んのか?
  --;--;--;

 04時40分
  生理食塩水点滴完了アラーム。ボタン押す。
 04時42分
  看護師B登場。生理食塩水パック交換。

 05時
  看護師D巡回。

  今何時ぞ?
  5時37分。
  テレビつけてくれんか?
  まだ早いぜ。(でも外はすっかり明るくなっていた!)

 06時05分
  看護師B巡回。
  体温計セット。

 06時20分
  看護師B巡回。
  体温・血圧・酸素OK!気分は悪くないですか?
  大丈夫。
  ご飯は食べられそうですか?
  解らん。
  おしっこ出てるから、内側のオムツ替えとこね。

  なんでみんなで〇〇来たんぞ?
  〇〇じゃないよ、〇〇〇だよ。
  結婚式か?
  おじいちゃんの治療だよ。
  眠れたか?

  ーー;ーー;ーー;

  アサー!!!


兄さん、ほんとにほんとにお疲れさま。。。

 

【7月5日夜】

兄からのメール

「現況」

 今日は意識ははっきりしてきたが、昼前から感染症と思われる発熱あり。
 元院長・現〇〇診療所のK先生(父のかかりつけ医)も来室。
 浮き沈みあるが徐々によくなるとのコメント。
 血液・尿検査の結果、更に厳密に排尿とNaとのバランスをとるため
 再びおちんちんを繋がれる。
 夕飯は半分食べて、意識も明瞭。
 今晩はおばあちゃんが付き添い。
 21時、熱も下がってスヤスヤよくお休みとの由。
 おばあちゃんもゆっくり休めるといいですが。

 明日、Pekoは気をつけて来てください。
 では、おやすみなさい。



そして私は母と兄弟たちに次のようなメールを送った。

「明日・・・」

 明日、お泊り当番に馳せ参じまする~~~
 8日までの予定です。
 待っててね~♪

 

【父の付き添い】

「東703便り(7月6日夕)」

 連絡遅くなりましたが、11時過ぎに無事到着しております。

 おじいちゃん、私が想像してたよりはしっかりした様子。
 時々お母さんの通訳がいるけど、たくさんおしゃべりしています。

 ベッド上からあれこれ細かい要求が出されるので、これが結構忙しい。
 それだけ調子が上向きになってるということでしょうか?

 昼食は玉子豆腐とスイカのみ完食。
 おやつにはゼリーをペロリ。
 月窓餅を母さんと仲良く半分こ。
 エンシュアも吸い飲みに移すと自分で飲みました。

 今は「うんうん」と多少唸りながら、黄門様を観ています。^^v



父は意識混濁からは脱していて、結構しっかりしてるように見えた。
が、胸には心電図のコード?鼻には酸素吸入、腕に点滴、
そしておしっこの管・・・と、ちょっとごそごそするとからまりそう。

私と母の夕食を近くのスーパーで調達して、
お夕飯は病室で一緒に食べた。

そして事件は起こった。

まだ私や母が食べてた時に、父が一人何を思ったか自分で薬を口に入れて
飲み込んでしまった。
あの硬いアルミのような包みに入ったままのものを!!

しばらくは喉に何か引っかかってる・・・と違和感を訴えていた父。
看護師さんから先生に言ってもらったところ、様子を見るしかないとの事。
胃に落ちれば後は下から出てくるのを待つしかないとも。

私や母がそばにいながら、どうして防げなかったのか!
気になりながら、母は迎えに来てくれた兄と自宅へ帰って行った。

夜9時前のこと。
水をくれというので吸い飲みで水を飲んだところ、ちょこっとえづいて
口をもごもごさせたと思ったら、口からぺろ~っと、その飲み込んだブツが
1センチ角の薬が出てきたのだ!
それはまるでマジックのように!!

こんな角角としたとんがったものが、よくまあ飲み込んで、そしてまた
出てきたことよ!

でもよかった。本当によかった。
気管とかに入ってたら大変なことになるところだった。
こうして無事に産み上げた?ことで、大事に至らなくて本当によかった。

母に伝えると、かなり気になってたようで、ホッとしたとの事。

食事・服薬時には要注意だ。
父に集中しないと。だな。

このことをメールで兄弟に送信した所、
姉と弟からは同じような返信が帰ってきた。
人間ポンプじいさんだと。。。
(--;)



「東703便り(7月6日10時半)」

 ぐだぐだ言いながらも10時過ぎ消灯。
 ぐだぐだ言いながらもすぐに入眠。
 落ち着いています。
 おやすみなさい。。。


「東703便り(7月7日朝)」

 昨日のアクシデントにはビックリでしたが、あれからは何事もなく、
 夜中は今何時攻撃を繰り出すも、今朝は気分も悪くないとの事。
 おじいちゃんの眠りは短い断片的な眠りの連続・・・という感じ。

 朝食はぼっちり。スイカとゼリーは食べました。
 服薬OK!
 まもなく頭のCT検査に行きます。
 Na不足の原因が脳にあるかも・・・とのことで検査します。


10時頃やってきた母は父としっかりと握手をして
産み上げた薬のことをよかったよかったと何度も話をした。

CT検査の結果は異常なし。
腫瘍などもなく、歳相応の脳みそだとか。

それにしても父の病気はやっかいだ。
高血圧で、心臓にはペースメーカー、大腿骨にはチタンが入っている。
低アルドステロン症でNa不足が起こると途端に元気がなくなる。
今回は肺に水も溜まっていて、それを抜くための点滴をすると
Naも尿と共に出て行ってしまうので、そのバランスが非常に難しい。
なんとかうまく調整して、早く元気にしてもらいたい。
頑張ってもらいたいのは父ではなく、お医者さんだ!!

お昼前、日中は母に任せて、私は実家に行き
シャワーの後、兄嫁にカレーをご馳走になって
ベッドで3時間半、ぐっすりと眠った。
途中、夫からの電話で起こされたのがちょっと悔しかったけど。

夕方はまた病院へ行き、夕食後に母は自宅へと帰って行った。

母が帰ってからは、眼鏡外して入れ歯も外して
いい子で寝てくれた父。
「まだ寝んぞ。」と言いながら、いい子で寝てくれた。
今の内に私も・・・と、気になってたホタルノヒカリも観ずに
幅60センチほどのベンチ兼ベッドに横になって眠った。



「東703便りPeko担当最終便(7月8日午後)」

 昨日の朝は10時頃母来室。
 私は母と交代して家に帰り、3時間半ぐっすり眠り体力回復。
 バスで5時半頃病院へ。

 夜8時過ぎ、母が帰る際には
 「お前がおらんとさびしゅうなるぞ」とおじいちゃん。
 後ろ髪引かれる思いで帰って行ったお母さん。

 おじいちゃん、夜は早くから睡眠モード。
 兄が買ってきてくれた夜でもハッキリと見える時計のお陰で
 今何時攻撃は激減。ほとんどなし。よく見えたらしい。^^v
 
 夜中、時々咳が出ても、自分でティッシュ取って対応。
 いい子で寝てくれました。

 が、が、んが~~~
 朝6時、点滴の警報がピロリンピロリンと。
 見てみると点滴の針が外れてる。自分で外した模様。
 すぐにナースコールをしてやり直してもらうも血が漏れだすなどして
 何度も診てもらいました。

 8時、朝食を食べようとしたところ、今度は鼻血。
 これがなかなか止まらず、耳鼻科へ行かされかけた時にやっと止まって
 耳鼻科へは行かなくてもよくなりました。
 
 なかなかすんなりとはいきませんな。

 兄に駅まで送ってもらい、今は電車の中です。
 以上、Pekoでした!



たった2晩だけでは何にもならなかったけど・・・
今度は姉が行ってくれるから・・・
あとはまた母と兄夫婦に負担をかけてしまうけど・・・

なんとか元気になって家に帰れますように!!

 

【父の様子】

7月9日 兄からのメール

 午後2時、体温37度、血圧70~120。
 ちょっと熱あるも、だるさ・しんどさはないとの本人談。
 8~9割方眠っています。
 その他、特段の異常及びよもだなし。
  ※よもだ=訳のわからないことを言うこと。(方言)笑
 2時45分、前商工会事務局長Oさんお見舞いに来室。
 2時55分、主治医代理先生回診。
 Na値は131でOK。聴診OK。
 微熱あるので抗生剤を続ける。
 尿は多過ぎるくらい出ているが、排尿促進の経口薬の加減は
 主治医I先生が出張から帰ってからの判断待つ。
 今の点滴はNaも少し含むが、栄養主体。
 もう少し食事が進むといいですね、との由。  以上。


7月10日 姉からのメール

「東703より愛を込めて」13:22

 無事到着しました。
 病室に入って「私は誰でしょう~?」と聞いたら、即座に
 「わかっとるよ!日本一美しい娘よ。」との事。
 さすが~!^^v
 
 そのすぐ後、ほんの少し食べたものをもどしました。
 昼食もほとんど残してたのに・・・
 
 今は唸りながらお休みです。
 とりあえず、ご報告まで。


「東703より愛を込めて」20:59

 8時ちょっと前に仕事帰りのI(甥っ子)が来て、
 おばあちゃんを連れて帰ってくれました。
 おじいちゃんも諦めたのか、「寂しいのぉ」とも言わず
 「明日は何時に来る?」と聞いただけでした。

 熱は36.7度。血圧OK。
 でもやはり食欲はなく、出されたものの2割位しか食べられない状態。

 でもさっき、TVのクイズ番組で難しい漢字が出てたのですが、
 全部読めてました。さすが!!
 「書け」と言われたら書けんが読むくらいならできるぞ!だって。

 今、看護師さんに目薬を差してもらって、睡眠モードに入ってます。
 ではまた明日!!


7月11日 姉からのメール

「東703より愛を込めて」13:07

 昨夜は特別ハプニングもなく、おじいちゃん、よく眠られたみたい。
 0:30と3:50にピロリン(点滴の警報)が鳴って
 看護師さんに直してもらってる間も、目を覚ます事もなく
 お休みでした。

 夜中のよもだもごそごそもなく、私もピロリンの時以外は
 ベッドから落ちることもなく、寝てました。

 今日は10時半頃、兄の車でおばあちゃんご出勤。
 私は兄と実家へ。

 兄夫婦と姪っ子は高校野球の応援で外出。
 私は仮眠をとって元気はつらつ。

 以上、現場からの報告でした。


「東703より愛を込めて」20:09

 おじいちゃん、昼食も夕食もほとんど食べず。
 夕食後、38度。
 昼間もほとんど寝てたらしいのですが、夕飯後も龍馬伝も観ずに
 ずっとお休みです。


7月12日 姉からのメール

「電車中にて」14:25

 病院から駅までダンディー・ブラザーに送ってもらって
 今、発車したところです。
 
 おじいちゃんは朝食・昼食全く摂れない状態です。
 血液検査の結果、Na値125。やめていた点滴をまた始めることに。
 (前回130に上がってたので中止してたそうです。)

 熱も早朝は36.8度まで下がってたのですが、また38度に
 上がってしまいました。
 この熱は、何らかの感染症によるものだということですが、
 血液検査をしても、その原因らしきものは不明。
 
 2週間排便がなかったので昨夜下剤を飲まされたら
 今朝は8時前からウンチングタイム。
 4~50分、ポータブルトイレに座って頑張ったので疲れ果てた様子。
 ご飯を食べる気力もなくなった模様。

 私が「もう帰らんといけんけど、誰かわかっとる?」って聞いたら
 「あなたのことは覚えとりませんが。」だって!!

 後で「冗談よ。元気で頑張れよ!」だって。
 こっちのセリフだよね。

 主治医の先生がやっと明日から出勤されるそうなので、
 もう少し何とかなるのを期待してるんだけど・・・

 こんな感じで一進一退という所でしょうか。

 では、ちょっこし寝させて頂きます。


兄からのメール

「主治医I先生カムバック」16:23

 先月末以来?久々にI先生カムバック。
 おばあちゃんが対応。コメントを伝えます。

 すっかり低Naになってしまい、長い間留守をしてすみません。
 その間のことは代理K先生から全て聞いています。
 先ずは感染症対策のため抗生剤を、そしてNa補給と栄養補給、
 これらを全て点滴で対応。
 感染症は原因わからず、色々考えてみる。
 栄養は口から摂れるものあれば、それもよし。との事。

 次の機会には治療の見通しを伺いたいですね。

 〇子、Peko、それぞれお疲れさま。
 今晩は再びおばあちゃんが泊り対応です。


 

【7月13日】

父のこと・・・

食事をつぶし食にしたところ、少し食べられるようになったと
母が嬉しそうに報告してくれた。
少しずつでも回復してくれますように。。。

姉がまた17日から21日まで母の負担軽減のために
行ってくれるそうだ。
有り難い。。。

 

こうして兄のメール一斉送信(兄・兄嫁・弟・姉・私・母)から始まったメール便は
退院まで続くのでした。。。

 


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2010 夏の想い出その後・・・ [言葉の花束]


9月に入ってすぐ、元生徒会長のM君から召集がかかった。

仕事がらみで上京するので、8月の同期会のプチ反省会をするぞーーと。

反省会の場所は、彼の甥っ子がやってるというビストロ。
我が家からは徒歩圏内のところのようだ。

しかしながら、このM君の情報、実はあてにならないことがあるから要注意なのだ。
前回、横浜は中華街で集まった時も、ヨウキロウ(楊貴楼?)なんて
ありそうだけど、実際にはありもしないお店の名前を言ったもんだから、
探せど探せど見つからないわけで。
そしたら全然違う名前のお店だったわけで。(一文字たりとも当たってはいなかった!)

そんなこともあったので、まずはネットで調べてみることにした。
すると、微妙~に発音の違う名前ではあったが、今度は確かにお店は存在した。
それどころか、なんとまぁ~過去に2回ほど行ったことのあるお店ではないか!!
彼の甥っ子のお店だなんて、全く知らずに家族で行ってたのだ。
この広い東京で、こんなこともあるのねぇ~と、プチサプライズであった。
(本当のサプライズがこのあと訪れるとは、露知らず・・・)

この日集まるのは5人の予定。
元執行部員が4人と、私の仲良しで婦人警官をしている友も誘って全部で5人。
M君はそのことを彼のHPに書いていた。

待ち合わせをして一緒に行く約束をしていた一人の女子部員が
当日急な家族の体調不良で参加できなくなってしまい、
一人の男子部員と婦人警官の友は仕事が終わり次第にかけつけるということで、
反省会のスタートはM君と私の2人でのプチプチ反省会となった。

そこへ一本の電話が入った。
M君の携帯へ、M君の奥様(奥様も高校時代の同級生)からだった。
「〇〇さんて人からあなたの携帯番号を教えてほしいって言われたんだけど、
 私の知らない人だったから、あなたに確認してからの方がいいと思って。
 5組だったって。知ってる?
 あちらの番号聞いてるから、連絡してみてね。」
そんな電話だった。

驚いた。
〇〇君は、私が高校時代に付き合っていた人だ。
といっても、手も握ったこともない清い清いお付き合いだったが。これほんと!(笑)
その彼が・・・なんで???
どうやらM君のHPを見て、連絡をしてきたらしい。

M君が奥様から聞いた番号にかけ直すと、
仕事が忙しくて参加はできないけど連絡だけしてみようと思って・・・
ということだった。

M君がその携帯を私に差し出した。
久しぶりだね。ローカル線の中で偶然会って以来かな?
うん。仕事、頑張ってるね~。もし早く片付いたら、おいでね~。
そんな会話をして、電話をM君に返した。
有名大手企業の宣伝部長をしているという彼。
そりゃ~忙しさも半端じゃないだろうことは想像できる。
そんな中でもコンタクトをとってきたことに正直驚いた。

暫くして婦人警官がやってきた。
私服だから、誰も彼女が婦人警官だとは気付かない。当たり前だけど。(笑)
知ってたって、未だに彼女が本当に婦人警官なのか信じられない私であることも
誰も知らない。(笑)

男子部員もやってきて、そこに東京で社会人をしてるM君の愛娘もやってきて、
途中、甥っ子が加わったり、甥っ子のお嫁さんやそのお母さんまでが挨拶に来られたりと、
反省会はそっちのけで、いろんな話に花が咲いた。

M君の携帯がまた鳴った。
〇〇君からだった。
ビストロ近くの駅まで来てると言う。
場所を教えてほしいとの事。

私と婦人警官は顔を見合わせた。
実は、この婦人警官の友もまた、彼のことが好きだった時期があったのだ。(笑)

〇〇君が来るの~!?
目をまん丸くしている婦人警官の友に、ついさっきM君の自宅経由でコンタクトをとってきた
彼の話をした。
仕事が終わりそうにないから今日は行けないけど・・・って言ってたんだけどね~
卒業以来会ってないという彼女は、かなりの喜び様。^^

電話での誘導に従ってやってきた彼が、2階窓際の席に座ってた私たちからも見えてきた。
そこを真っすぐ真っすぐ~~。はい、上向いて!
私たちは2階から大きく手を振った。

あの忙しそうな電話での話のあとで、まさか、本当に来てくれるとは!!
彼の登場は、この日一番のサプライズだった!!!

話は更に盛り上がる盛り上がる。
とは言っても、私と彼とはあまり話はしていない。
なぜか。
ここへ来て、M君が急におかしくなったのである。
なんでかわからんが、急に嫉妬心がふつふつと生まれてきたぞぉーーと。^^;
自分の娘の前なのに、Pekoは俺のものなのだ!!発言まで飛び出して。(爆)
完全に酔っぱらってしまったM君。(笑)

いや~~マイッタマイッタ。

気付けばワイン3本が空いていた。
悔しいことに、お薬を調整中の私はお酒禁止令が出てるため飲むことができず。
酔っ払いオヤジと化したM君が娘の前にもかかわらず口説いてくるのをシラフでかわし、
皆で大爆笑の楽しい楽しい時間であった。

〇〇君のクラスでは、たまに集まりがあるとか。
次の集まりには声をかけるから、是非是非来てほしいと。
婦人警官の友も、Pekoと一緒だったら行ってもいいよ~と言うので
この日集まった東京組メンバーの住所と携帯アドレスを教えた。

この後また電車を乗り継いでホテルまで一人で帰らないといけないM君を気遣った
娘に促されて、会は11時前に解散。
電車で帰る人とは最寄りの駅で握手して別れ、私と婦人警官の友はタクシーに乗り込んだ。
友、35年振りの再会でかなり興奮気味。(笑)
とっても楽しかった。ワインも美味しかった。来て良かった。誘ってくれてありがとう~~!!
と、何度もお礼を言われた。^^v

自宅に着くと、携帯にメール着信音。
〇〇君からだった。
あの頃と同じ目の輝きが・・・ って。
そんなこと言ってくれるのは彼くらいのものだろう。

体型も変わって、どっぷりおばさん真っ只中の私だけれど
この際、有り難く、素直に受け取っておくことにしよう。^^v

この日、酔っ払いオヤジはというと、
ホテルに帰り着くまでに迷子に迷大人になってしまったらしい。。。(爆)

 


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2010 夏の想い出 [言葉の花束]


早いもので、もう10月。
カレンダーも気が付けば残り少なくペラペラな感じ。
時の流れが加速度がついて早くなっていることに驚くばかりのこの頃・・・
 

さてさて、8月のことになるけれど、故郷では
タイムカプセルの中から出てきた8ミリフィルムの上映会を兼ねた同期会が開かれた。
(カプセルは高校時代に埋めたもので、5年前、35年振りに掘り起こされた。)
と同時に、当時写真部だったO
君が数年がかりで整理・編集したという
高校時代の写真のスライドも観せてもらった。

貴重な映像や写真の数々。
一瞬で気分はあの頃にタイムスリップ!
愛おしい時間たち。

当時の写真は実に懐かしかった。^^
個人的には、自分の超~どアップが出てきた時には腰を抜かしそうになったが。^^;
でも、どれも笑顔の写真だったことが私にはなんだか嬉しくて、
それもまた愛おしく思えた。
当時の私を実力以上に撮ってくれてたO君に感謝!^^

このところ、なかなか笑顔ではいられないこともあったりして・・・
そんな中でも 「笑顔が一番だよ~♪」 って、
18才の私が教えてくれたような気がしたよ。
やっぱりできることなら笑って過ごしたいもん!

そんなことを感じながら何度も写真を観せてもらった。
いやぁ~本当に間違いなくそれぞれの青春が詰まった力作だったなぁ~^^
(一番詰まってたのはO君の青春だろうけどね^^)
 

その写真の中に、「ドッキリカメラ」の看板があったのに気付いた人が
どのくらいいるだろうか・・・
そして、その看板がどういう時に使われたかを覚えてる人がいるだろうか・・・
 
あれは確か、「予餞会」か「3年生を送る会」だったと思う。
その中で、卒業生VS在校生という形で歌合戦を行った。
 
ある生徒が歌い終わった時に、たくさんの色とりどりの紙テープに交じって
誰かがトイレットペーパーをステージに投げ入れた。
 
いきなり、当時泣く子も黙ると言われた体育主任のK先生が
怒って怒鳴りながらステージに上がられた。
「今、このトイレットペーパーを投げたのは誰だ!!
 すぐに出てきて卒業生に謝れ!!」と。
 
歌合戦である程度盛り上がっていた場内は、一瞬でしーーーーんと静まり返った。
 
驚異の存在感を醸し出すK先生の声だけが体育館内に響き渡った。
「このお祝いの席で、こんなものを投げ込むとは何事か!!失礼じゃないか!!
 早く出てきて謝れ!!」と。
 
トイレットペーパーを投げ入れた生徒(I君)は恐る恐る立ち上がり前へ出た。
ステージ下の席で楽しんでおられた校長先生や他の先生たちも、どうすればいいのか、
どうなることかと落ち着かない様子。
 
K先生に引きずられるようにしてステージ上に上げられたI君。
館内は皆、固唾を飲んで成り行きを見守るしかなかった。
 
その時だ!
ステージのソデから一人の生徒が飛び出してきた。
赤いヘルメットを被って、この「ドッキリカメラ」の看板を持って
「ドッキリでしたぁ~~~!!^^v」と。
 
一瞬、体育館内は更に静まり返った。事の次第を理解するのに数秒かかった感じ。
こわ~~いK先生のなんともいえないイケズそ~な笑顔で皆はすべてを理解した。
直後、館内は地響きのごとく、地鳴りのごとくに唸り始め、
それまでに聞いたこともないような大歓声に包まれた。
拍手喝采・大歓声は、しばらくの間、鳴り止むことはなかった。
 
「ドッキリカメラ」大成功の瞬間だった。
 
誰も知らないと思うが、体育館の一番後ろで見守っていた私は、その瞬間、
一人で大号泣であった。
 
今で言うなら、映画「ソラニン」以上の絶妙のキャスティングではないだろうか。^^v
 
知っていたのはK先生と執行部、それから顧問のH先生、
あとは投げ入れ役と看板持ちの生徒のみだったかと。
 
後からM校長先生が、「あの時はどうしたらいいものかとかなり焦ったよ。」と
笑って仰った。
ユーモアを持って、私たちを理解してくださった校長先生や
この役はこの先生でしか成し得なかったと最初から皆が思ったK先生も
8ミリフィルムの中では元気に活躍されておられ、感動的であった。
 
どちらの先生も、今は天国から見守ってくださっている。
 
そして、重要な役どころ、「ドッキリカメラ」の看板を持つ野呂圭介役を務めてくれた彼も。
 
一足先に旅立っていかれた先生方や友たちへ、心からの哀悼の意を捧げつつ。。。
 

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むふふ [言葉の花束]


朝、出勤前の夫が

「あれ 取ってくれ。」 と言って、

私の前で腕を伸ばして人差指で取ってほしいものを指差した。

  

目の前でこんなことをされたら、私の中の何かが黙っちゃいない。

これをやるしかない。

 

私はおもむろに、夫が差し出した人差指に私の人差指をくっつけて

「E.T.~」

と言った。

 

夫がちょっと笑った。

いや、もっと笑いたいのを必死でこらえていた。

バカにされるかと思ったが、何気にウケた模様。

 

「じゃ、行ってくるから。」

「はい、行ってらっしゃい!」

 

やったね[るんるん]

むふふ。。。


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帰省から無事帰宅。 [言葉の花束]


数日前に無事帰宅しております。^^

さすがに毎日の病院通いや家事手伝い、長距離移動などなどで疲れしまい、
数日だらだらと過ごしております。

疲れは自宅に戻ってから一気に出てきたというか、実感できた感じ。
帰省中は、多分肉体的には疲れてたんだろうけど、
楽しくて心優しい身内のお陰で、精神的にはとっても楽で穏やかでした。
だから疲れも感じなかったんだと思います。

クラス会・同期会にも出てきましたよ~^^v
当時の高校生活を切り取った8ミリフィルムの懐かしい映像に、
皆で歓声をあげたり大笑いをしたりと、楽しいひと時を過ごして参りました。

写真部だったO君が数年がかりで編集した写真のスライドも感動でした。
そこには紛れもない17・18歳の仲間が、私が、いました。^^
私の写真、なぜかどれも楽しそーに嬉しそーに笑ってるものばかりでした。
そして、これがまた実力以上~って感じのいい写真だったのよぉ~。感激[るんるん](笑)
実に生き生きとした笑顔で、いかに学校が好きだったか・・・ってのがよくわかるような。^^
お勉強は大嫌いだったけどね。(^^ゞ

撮ってくれたO君には本当に感謝感謝です。

そんなこんなで、父の状態は薄皮を剥がしていくようなスローな治療しかできないけど、
家族全員に協力し合おうという意識があるので、
皆で母を助けながら、なんとか前向きに対処できてると思います。

ていうか、実際は父のことを何でも笑い話にしてしまうという、実はヒドイ子供たちなのです。^^;

詳しくは、また追々、兄弟間でのメールなんぞを記録として整理していこうかなと思っています。^^

まだしばらくは暑い暑い日が続くようです。
どうか皆さま、お気をつけてお過ごしくださいませませ。。。
 
 


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クラス会でも・・・ [言葉の花束]


この夏、高校の同期会があることは前記事で書いた。(1学年10クラス)

5年前に掘り起こしたタイムカプセルの中に
誰も覚えていなかった8ミリフィルムが入っていたので、その上映会を兼ねての集まりだ。

その前日には、前夜祭として我らが1組のクラス会もやろうという話が地元で盛り上がっていて、
その案内状が届いた。


中心となって幹事をしてくれてるのは、小学校の先生をしているO君。
高校時代には写真部だった男子。
彼から送られた案内状にはこんなことが書かれていた。

4年前、家の蔵から200本ほどのネガフィルムが発見され、
内60本は彼が高校時代に撮ったものだったとか。
文化祭やクラスマッチ、水泳大会や体育祭、学校の何気ない風景など、
総数は900枚にもなったそうだ。

それからというもの、休日を利用しつつ2年をかけてその写真をスキャナで取り込み、
整理をしたO君。

それらを改めて見てみると、35年前の自分たちの姿は大変懐かしく、
エネルギー溢れる当時が蘇る貴重な記録(記憶)になっているとの事。

それで、クラス会ではこれらの写真をスライドにして見ながら、
みんなで当時を振り返り盛り上がろう~というわけなのだ。

案内状の裏には、「あのころ・・・」と題して、
その写真の一部が数枚張り付けてあった。

1枚目には、なんと、私の写真が!!
ソフトボールのクラスマッチ。
バットを握って嬉しそうにバッターボックスに立っている18歳の私が・・・
ジャージにハチマキ姿の私が写っているではないかぁ~~!!(笑)

それだけでも、もう~懐かし過ぎぃ~~(T T)

5年前のタイムカプセル開封時の写真もあり、そこにも私が。(笑)

あと、何が出てくるのか、そこにはどんなみんなが、どんな私が出てくるのか、怖いような気もするけど・・・
怖いもの見たさというのもあって、

こちらも楽しみじゃ~~~[るんるん][るんるん][るんるん]

  


タグ:クラス会
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ソラニン [言葉の花束]


IMG_3826.jpg 

 

娘に誘われて映画を観てきた。
「ソラニン」 (公式サイト) 
宮崎あおいちゃん主演の映画だ。

4月の中頃だったが、書いておこうと思いつつ、今頃になってしまった。
(毎度のことか・・・^^;)

娘はすでにコミックを読んでいて、映画化の話が決まった時にはとっても喜んでいた。
だって、コミック「ソラニン」も好きだし、あおいちゃんも好きだし、アジカンも好き!
となったら、もう観るっきゃないっしょ!
てな感じで。^^ 

私はというと、コミックの存在も知らず、娘が買ってたということも知らず、
(娘が読み終わったあとはずっと職場で回ってたらしく、家になかった)
予備知識も公式サイトをチラッと見た程度のものしかなかった。

だからか、それとも仕事をひとつこなしてからの観賞だったからか、
始まってまもなく不覚にもウトウト・・・としてしまった。^^;

娘につつかれてすぐに復帰したからよかったが。(^^ゞ

 

最初、眠気を誘うほどにストーリーは淡々と進んでいく。
でも
それは、まるで現実の日常のようで、何だか妙にリアルに感じられた。

結局、感動的なサクセスストーリーでもないわけで、
登場人物たちが皆迷いながら
日々の生活を送っている・・・
その様子が、観てる内に、リアリティーを持って沁み込んできた。

 

言いたいことが言えて、やりたいことがやれて、夢を叶えている人もいる。
そういう人は幸いだ。
だが、そうではない人も、もっともっとかなりの数いるわけで。
そっちの人たちの方が多かったりするわけで。
だからこそ、多くの共感を呼んでいるのだろう。

迷って迷って・・・
決めても迷って。。。

 

どうして種田は突っ込んでしまったんだろう・・・

大切なものを見つけたというのに。

どうして種田は泣いてたんだろう・・・

 

彼は賭けをしたんじゃないかと私には思えた。
ここを渡れたら、すべてがうまくいくんじゃないかと。
涙は?それまでの自分との惜別の涙?

そして紙一重のところで彼は渡れなかった・・・

やり続けていれば成功したかもしれないのに・・・

あっけなく儚いのもまたリアルな人生。

  

と同時に紙一重のところで、私はここにいることを実感。

脇道から突然出てきた車に衝突した時・・・
運転中、「対向車に突っ込んでってくれ!」と言われた時・・・

私は賭けをしたわけではなかったけれど、紙一重で生かされた。
そんな自分を実感した。

 

あおいちゃんはナチュラルで可愛かった。^^
一生懸命さも十分伝わってきた。
ギターもかなり練習したんだろうなぁ~って思う。

一番目を引いたのはベース担当加藤役の近藤洋一。^^
自然な演技で、いい役者さんだなぁ~と思って観ていた。
が、最後のライブでの映像を観て私は更に驚いた。
この時やっと、彼のベース、その動きは素人ではないなと確信した。(遅い?^^;)

帰り道、娘に言うと、彼がサンボマスターのメンンバーだと教えてくれた。
サンボマスターは、「世界を変えさせておくれよ♪」とCMで歌ってるバンドだ。
TV「電車男」でもテーマ曲歌ってたかな。
とにかく、その彼が、とってもいい味を出していた。

  

映画を観た日からしばらく経って、娘が 「はい!これ読んで!」 と私に渡したもの、
それが冒頭のコミック「ソラニン」だった。

読んで思ったのは・・・
映画のまんまだぁ~~^^
ってこと。
違うことと言ったら、親友役の女の子のヘアースタイルが違うことくらい。^^

ビリー&加藤のキャスティングには脱帽である。
ほんと、加藤役の近藤さんには「あっぱれ[exclamation×2]」を3つほどあげたいと思ったな。。。

(絶妙キャスティングはこちらで [次項有] 大ハマリ!映画『ソラニン』の絶妙キャスティング) 

 

*****

 

昨日は義母が来て、仕事が終わった後、買い物に付き合った。

「口紅を買いたいんだけど、自分じゃ決められないから一緒に行って~」 と義母。

口紅とお洋服を買ったが、気に入ったようでよかったよかった。

その義母は、夫と三男との3人で、今日からお墓参りの旅に。

義母のお里と、義父が眠る夫たちの故郷へ旅立った。。。

 


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兄の還暦祝い♪ [言葉の花束]


GW前に弟から私と姉とにメールが届いた。

こんばんは。お元気でお過ごしのことと存じます。
さて、我らが長男〇〇殿が、来月めでたく還暦を迎えられます。
つきましては連休中にささやかなお祝いをしようと計画しております。
お二人とも帰省は無理だと思いますが、
お祝いの方でのご協力をお願いしてもよろしいでしょうか?
お返事ください。              =男前の弟より=

Re: こんばんわんこそば!^^
   我らが兄上も還暦ですかぁ~そりゃ、めでたいめでたい!!
   やっぱり赤い帽子とちゃんちゃんこ?
   日頃両親が大変世話になってるので、豪華なちゃんちゃんこをお願いしまーす!!
                         =かわいい方の妹より
[黒ハート]

当日は祝賀会の席上、
美しい妹様可愛い妹様からのお祝いメッセージを代読させて頂きますので
前日までに当携帯にメッセージを送信してください。
お忙しいとは思いますが、期限厳守でお願いします。
取り急ぎ用件のみ。ギャグ不足御免 m(_ _)m
   

「ギャグ不足御免」て・・・
弟よ、ギャグなんていらんわ。(笑)

これを見ると、どうやら姉は「美しい方の妹」で返信した模様。(爆)

そして私はドタバタ連休の中、前日期限ギリギリの時間にメッセージを送信。

   

翌日、兄の還暦祝賀会は、兄一家(5)・弟一家(4)・両親(2)勢揃いで、
例の如くに食事会から撮影会まで、大盛り上がりだったそうだ。

企画は弟。あの、国旗・家旗掲揚の小道具も健在どころか更にパワーアップしてたらしい。
司会進行を兄のところの長男がやり、乾杯の音頭は父、代表祝辞は次男坊。
この次男坊の祝辞が実によかったとか。兄もさぞかし嬉しかっただろうなぁ~
記念品(お包み)贈呈は母から。
兄嫁と兄の娘のきれいどころ(ここ、強調したらしい^^)からは花束贈呈。
美しい妹と可愛い妹のメッセージは弟嫁が我々になり切って、
感情豊かに読みあげてくれたそうだ。(笑)

ちなみに私のお祝いメッセージは・・・

親愛なる我らが兄上様へ
お誕生日おめでとうございます!
更にめでたく還暦を迎えられたとの事、重ね重ね心よりお祝い申し上げます。
年齢は還暦でも〇〇兄さんは若いと思います。かなり。うん、これホント!
そのスマートな歩き方で、花の60代もスマートに闊歩しちゃってくださーーい!!
フレーフレー、〇〇兄!!
またそちらへ行った時には一緒に遊んでください。よろしく~[揺れるハート]
本日は誠におめでとうございました! 
                    =不叶(不可能?)姉妹の可愛い方の妹より
[わーい(嬉しい顔)][手(チョキ)]

  

兄、かなり細身の体型なのだが、その動きがまた実にスマートなのだ。
しかも自然なスマートさ。
建物の入り口のドアや車のドアは開けて待っててくれるし
椅子に腰かける時のエスコートも自然である。
なので、ホテルではドアマンに、レストランではボーイさんに間違われてしまうのだ。(笑)

頭髪は哀しい限りだけれど(笑)、バンダナも似合うしGパンにスニーカー姿も似合う兄。
私が短大の頃には、たまに兄のアパートに遊びに行って、
Tシャツや綿パンなどを譲ってもらい、かなり愛用させてもらった。
音楽サークルで使っていたアコースティックギターも兄から借りたものだった。

  

大きな手術を乗り越えて、兄が還暦を迎えたことも感動だが、
こうして声をかけて盛り上げてくれた弟も感動もんだ。

弟、兄のお祝いではあるけれども、それはやはり兄嫁の支えがあったお陰だと、
兄嫁に対する感謝もきちんと言葉にして言ったと聞き、嬉しくなった。
本当にそうだと私も思う。ありがとう、お義姉さん。

そして弟よ・・・本当にありがとう。

夫も4人兄姉弟だが、その関係を思うと、我が弟の気持ちには涙が出そうになる私である。

それから兄さん、以前、「親父が頑張ってるからなかなか俺の番がこない!」ってぼやいてたけど
今回は兄さんが主役でよかったね[るんるん]

本当におめでとう[exclamation×2] おめでとう[exclamation×2] おめでとう[exclamation×2]

   

兄還暦祝い.jpg

あまりにも似合い過ぎてて、全く違和感がなかったとかとか。。。(笑)


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母の日に・・・ [言葉の花束]


母の日だった日曜日・・・
私は姉と、鎌倉の叔母のところへ行ってきた。
叔母は先月、連れ合いの叔父を亡くしたばかり。

お昼に何か食べるものを持っていこうか?って言うと
毎日テキトーなものしか食べてないから、久しぶりに何か美味しいものでも食べに行きましょう・・・
あんた達が一緒なら叔父さんも許してくれるでしょうから・・・と叔母。
なので、食べるものではなく、ピンクのカーネーションを持って行ってきた。

叔母宅に着くと、叔母は庭掃除が終わったところで、「もう終わったわよ~(来るのが)遅い遅い!^^」
と出迎えてくれた。^^;

一緒に家に入り私たちは、仏間ではなく、叔父のお気に入りの場所、
居心地のいいリビングに作られた祭壇でたくさんのお花に囲まれていた叔父にご挨拶。
今日は叔母さんをちょっくらお借りしますよ、とも付け加えた。

叔母は「やることがいーっぱいで、悲しんでるヒマがないわ。」と
忙しい日々を送っているようだった。

お通夜・告別式は近親者だけで行ったが、連休明けに会社が新聞に通知を載せると
毎日電話やら訪問やらで、その応対に叔母はてんてこ舞いらしい。

今月末、ホテルでのお別れ会が終われば名古屋のお寺さんに納骨の予定。
そうなると、今が忙しい分、一気に寂しくなるかもしれない・・・

この日、叔母は 「お天気もいいし、あれから外を全然歩いてないから少し歩きたい。」 と言い
由比ヶ浜にあるという気になるお蕎麦屋さんを目指して行くことにした。

鎌倉駅までは車で、そこから江ノ電2駅分は歩いて散策しながら行った。

鎌倉駅裏側の商店街を抜けて、海の方へと歩く。
近くまで来たあたりで道を一本間違えてしまったため、かなり歩いた気がする。^^;
辿りついた時には皆、お腹がペコペコであった。

お店は由比ヶ浜の駅近く、駅から海に向かって行く途中にあった。

叔母宅を出る前に電話を入れた時には「10組の方がお待ちです」とのことだったが
到着時にはすんなりと入れてよかった。^^v

 

IMG_3818.jpg

「松原庵」の暖簾をくぐる叔母。^^

IMG_3811.jpg 

古民家を改装したお店はなかなかの風情が・・・

IMG_3817.jpg

玄関?上がり口の棚にもおもしろい置き物が・・・

IMG_3813.jpg 

ランチコース(2800円)にはこんなにたくさんの前菜がつくの~!?

IMG_3814.jpg

でもちょっぴりずつだったので納得。^^

IMG_3815.jpg

「そばがき」も注文。私は初体験。おそばのお餅って感じ?^^;

IMG_3816.jpg

おいしくツルツルっと頂き、ご馳走様~!!^^

このお店、広いお庭にもテラス席があって、皆気持ち良さそうだった。

 

帰りはまた潮風を感じながら歩いて鎌倉駅まで。

駅手前でおやつを物色。^^

IMG_3819.jpgIMG_3820.jpg

おやつにはブッセを。

IMG_3821.jpg

日曜日に来させてくれた夫たちへのお土産にとろとろプリンまで。^^v

IMG_3825.jpg

  

様子伺いに行ったのに、毎度のことながら叔母にすっかりご馳走になってしまった今年の母の日。

ありがとう、叔母さん。
叔父さんのお別れ会にはまた行くからね。

翌日、歩き疲れて足でも痛くなってるんじゃないかと電話をしてみると
「久しぶりに外を歩けて、本当に気持ち良かった。どうもありがとう~」
と、逆にお礼を言われてしまった。

でも、よかった。
叔母さん、引き続き、気をつけて過ごしてね。

 

*****

 

IMG_3810.jpg

息子夫婦&娘たちからもらったカーネーション[かわいい][かわいい][かわいい]

いつもありがとうね[るんるん]

今年、義母と母にはお洋服(カットソー)をプレゼントしました。。。

 


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2010GW [言葉の花束]


やっとこさの更新です。

とっくに終わったGWだけれど・・・(^^ゞ
今年の我が家の連休はやっぱりドタバタでしたね。^^

前半は名古屋から息子家族が、そして後半は義母がやってきて、
全員集合となった賑やかな連休でした。

何度も授乳タイムや休憩をとりながら、
往路11時間半、復路9時間半かけて車で来てくれた息子たちに感謝です。
ありがとう。お疲れさまでした。

  

この時、息子夫婦の子、ポニョ子は3ヶ月半。
Qちゃんの母乳だけで、ぷくぷくと肉付きもよくなっていました。
機嫌がいいとよく笑い、「あーあー、うーうー」と、意味不明のおしゃべりもするようになりました。

 

ぽにょぽにょにこにこ^^「あーうー」へぷしっ(笑)

 
いろんな表情を見せてくれるポニョ子には毎日楽しませてもらいました。^^
  

すやすや・・・
  

寝顔もなんともいえません。食べちゃいたくなってしまいます。^^

このまつ毛の長いこと!
ポニョ子にはまつ毛エクステも必要ないでしょう。^^v

 

新米バーバはポニョ子が可愛くて、ついついかまいたくて、
いっぱいいっぱい抱っこしました。

すると夜中には腕がジンジン痺れてきました。
きんにつくう・・・は息子が幼い頃に言った言葉ですが、そう、筋肉痛です。^^;

そして連休中はとってもお天気が良かったので
家中のお布団類をとっかえひっかえお日様に干しました。

そんなこんなでよく働いた今年のGW。

終わってみれば、身体中のあちこちが痛くて痛くて~~~(T。T;)

連休後は毎日これのお世話になってるバーバPekoでした。(^^ゞ

 

マッサージ機

  

あぁ~あ、子育て中には筋肉痛なんかになったことないのにな。。。^^;

 

********

 

書き忘れてたことが・・・^^;

昨日、夕方6時過ぎに外に出てみると、西の方の空になんとも素敵なものが輝いていました。

細~い三日月の上にお星さまが一つ、それはちょうど月星靴のあのマークのように・・・[ぴかぴか(新しい)][三日月]

しばらく見惚れてしまいました。

ちょっこし(ゲゲゲの女房の見過ぎ?^^;)、幸せ~~な気分になりました。^^[手(チョキ)]


 


タグ:2010GW
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なぜか上海♪ [言葉の花束]


上海と言えば、開催間近の上海万博・・・ではなくて、 

私の中では「なぜか上海」。

大好きな陽水の曲です。

上海に行ったことはありませんが、上海(シャンハイ)という響きがなぜか好きです。

たぶん、この曲の所為でしょう。^^

陽水の言葉遊びもいい感じです。  

       

 

ホント、なぜか上海・・・なのですよ、うん。。。

  

 

陽水の曲の中で海をイメージするものは他にもあります。

「冷たい部屋の世界地図」もそのひとつ。

 

 

海 水平線 船 波 空 潮風 カモメ ・・・ 目に浮かびます。。。

 

    

「能古島の片思い」も大好きな曲・・・

なのに、恐ろしい事件の現場となってしまったのは誠に残念。

  

 

なんて純粋な曲・・・

  

陽水・・・やっぱりいいね。。。

 

   


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お経の木魚のリズムにギョ!? [言葉の花束]


叔父のお通夜・告別式でのこと・・・

  

お坊さんによる読経が始まってすぐ、

不謹慎にもそれは私の耳を捉えて離れなくなってしまった。

  

何かと言うと、お坊さんが叩く木魚の音、それが、なんと、

  

裏打ち!! のリズムなのだ。

  

ンッ ポコ[るんるん]  ンッ ポコ[るんるん]  ンッ ポコ[るんるん]  ンッ ポコ[るんるん]  ・・・

なぁ~~~    むぅ~~~    あぁ~~~   みぃ~~~    ・・・ ってね。^^

  

しかもそれは完璧なまでに表を意識したものではない見事な裏打ち

私は感動してしまった。

  

こんなのは初めて聞いた気がする。

 

横に座っていた姉に耳打ちすると、姉も気付いていたらしく、「うんうん」と頷いてきた。

お通夜が終わって兄や従兄弟たちにも言ったところ、

「お経を聞いてそんなことに気付く人なんて、他にいないんじゃないの~?」 と言われてしまった。

 

で、気になって、帰宅してからネットで検索してみたら、いたいたいたぁ~~^^

同じように感じた人たちが。^^ 

いろいろあって、嬉しくなってしまった。^^v

 

「ジャズのように聞こえた」って人から「これは“和スカ(和製スカ)”だ!!」っていう人まで。(笑)

私はレゲェみたい・・・って思ったのだが、言われてみれば東京スカパラ(ダイスオーケストラ)を

思い出すから、“和スカ”に一票かな。^^

 

どうやらこの木魚の裏打ち、浄土宗の場合にはそうなのだとか。

驚きの新しい発見であった。

お経も木魚も奥が深いなぁ。。。

 

因みに・・・

お経の他には、谷村新司の曲がずっと流れていた。

特に叔父が好きだったのは、「昴」や「群青」だそうだ。。。
  


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介護施設の皆さまに感謝 [言葉の花束]


自分のことであるが、目の疲労感は全く取れず・・・(ーー;)
ピントを合わせるのに時間がかかる。
目を細めないとピントが合わせにくかったり。
PCもすぐに疲れるし、新聞や雑誌も読み辛く、頭痛までしてくる始末。
細かい作業や小さい文字を見ること以外には支障はないのだが、
思えば疲労感は何とはなしに身体全体にあるような気もする。

眼科で診てもらった。
乱視もあるとのこと。
眼鏡をかけた方がいい限界に来てるとも言われた。

あいや~眼鏡かぁ・・・

眼鏡をかけることには抵抗感がある。かなり。
かけることで頭痛が起こりそうなくらい。^^;
うーーむ、どうしよう・・・

歯医者にも行った。半年毎の定期検診。
歯石を取り除いてもらうなど、歯の大掃除。
そこで歯医者さんに言われたことにちょっとびっくり。

「身体が疲れてないですか?それか睡眠不足かも?」

ドキッとした。
言われた時は口を開けた状態だったので喋れなかったが、治療が終わってから先生に聞いてみた。
「歯で身体が疲れてるとか睡眠不足とかがわかるんですか~?」
「歯じゃなくて、舌でわかるんです。
 疲れたり睡眠不足だったりすると、舌は少し膨張するんですよ。
 舌が膨張すると、その両側が歯に当たって色が変わるから。だからそうじゃないかなって。
 サインのようなものですけどね。気をつけて下さいね。」

へぇ~~そうなんだ・・・
やっぱり疲れてるのかなぁ・・・
疲れるようなこと、なんもしてないけど。。。^^;

  

  

さてさて話は変わって・・・

土曜日、鎌倉の叔母から電話がかかってきた。

「こないだは来てくれてありがとう。
 あんまり話ができなかったから、心配してるんじゃないかと思って。
 おばさんは大丈夫だからね。へこんだりしてないからね。」

叔母はそう言った。
でも、叔母がそういうことを言えば言うほど私は心が痛む。
叔母が強がりでもなく、そういう境地に至るまでには、どれほどの心の整理をしてきたか・・・
それを思うと私の方が泣きそうになる。

大変な介護や認知症の方の介護は、経験した人にしかわからないものがあると思う。
それはうつ病の人との関わりでも同じようなことが言えると私は思う。

  

亡くなった叔父は叔母のことをとても可愛がっていた。
と同時にとっても厳しくもあったそうだ。
手抜きをすることを嫌ったそうだ。
そして自分自身にも厳しい人だったそうだ。

会話が多くて、とにかく私には仲良し夫婦にしか見えなかったが、叔母に言わせると、
お互いが相手から文句を言われないよう、後ろ指を差されないよう頑張って頑張って、しんどかったと。
二人にとっては戦いのような、勝負のような何かがあったのかもしれない。

朝食にしても、叔父の希望で、365日違うメニューを用意したという叔母。
叔父が気持ち良く過ごせるように家事を完璧にこなし、叔父のために一生懸命やってきた。
叔父は叔父で、精一杯働いて、限界を感じる75歳まで働いて、ガッポリ稼いできた。
 

叔父が仕事を引退した後、叔母は「もうそんなに頑張るのはお互いやめにしない?」と提案したそうだ。

が、パーキンソン病や認知症で世話が大変になり、叔母はまた頑張るしかなかった。
認知症のため、時に叔母のことがわからなくなったり、暴言を吐かれたり、乱暴なことをされても頑張った。
叔父自身も生活すること、生きることに頑張った。

叔母はずっと自宅で叔父の世話をするつもりでいた。
バリアフリーの生活スペースを増築して、エレベーターまで付けて生活をしていた。
私が遊びに行った時には看護師さんが来て入浴介助などをしてくれた。
バリアフリーのスペースはとてもゆったりとしていて、浴室も広く、
こんな浴室なら介助がしやすいだろうなぁ~と思った。
叔母は、そうやって訪看さんやお手伝いさんの力を借りながら、そこでずっと一緒にいようと思っていた。
  
が、主治医がそれを止めた。ある日の診察時に。「もう自宅での介護は無理です!」と。

事実、後から聞けば、家の中でもいろんなことが起き、警備会社やお巡りさんのお世話になることも
あったそうなので、この時に主治医がよく言ってくれた!と私は思った。
あのまま続けていたなら、きっと叔母の方が倒れていたに違いないと思うから。

叔母は、この時はいきなり自分の半身をもぎ取られたような複雑な心境になったけれど、
叔父が亡くなり、お骨となりはしたけれど、自宅に戻ってきたことでは
「パパがやっと私の所に戻ってきてくれた。やっと私の半身が戻った。」と話した。
叔母にとって叔父は「私の一部、半身だ」と叔母は言った。

「今はお骨がそばにあるから大丈夫。
 でも四十九日が過ぎて名古屋のお寺に納骨をしたら、寂しくなるでしょうね、きっと。
 だからね、おじさんの骨を少しくすねてそばに置いておこうと思うの。ナイショよ。(笑)」
そんなことを叔母は話してくれた。

叔母は、それまで叔父の介護に関わってくれた人たちへの感謝も話した。
特に、最後に入所した介護施設のスタッフのことは、本当によくしてもらったと言っていた。
叔父自身が「ここは気に入ってる。」と言ったくらいだから、明るい声がけや楽しい雰囲気の中で、
手厚い介護を受けたのだろう。

病院で息を引き取った叔父を、叔母は自宅に連れて帰った。
どうしても自宅に連れて帰りたかったと言う。
そうして自宅で一晩を共に過ごした翌日、斎場へ連れて行く予定だったところ、
途中で介護施設に立ち寄ってほしいと言われ、立ち寄った。
そこでは思わぬ応対をされたそうだ。

施設に立ち寄り、ちょこっとお別れの挨拶を受けるだけかと思っていたら、そうではなかった。
叔父を、叔父が使ってた部屋のベッドに寝かせ、スタッフが皆代わる代わる
「Mさん、よく頑張りましたね・・・」「本当にお疲れさまでした。」
と、叔父の手や足をさすりながら声をかけ、お別れをしてくれたというのだ。

その光景にはとても感動した・・・と、一人息子である従兄弟が告別式の時に話してくれたが
叔母も「あそこの職員は皆とても志が高くて、いつも本当によくしてくれる」と普段から信頼し、褒めていた。
そして叔父が亡くなった後も、心から感謝をしていた。
こういった施設のスタッフさんには頭の下がる思いである。
本当に感謝だ。

見る目の厳しい叔母が感心するくらいだから、かなりのものだと思われ。
もう少し強く言って、私も叔父さんに会いに施設に行って様子を見とけばよかった・・・と思った。

  

「おじさんは一生懸命やりたいことをやって、やり切ってアチラへ逝ったと思うの。
 おばさんも、施設に入れてよかったのかしら・・・、胃ろうにしてよかったんだろうか・・・っていう
 問いかけはこれからもずっと続くんだろうけど、それには答えは出ないと思う。
 どんな時でも、やれることはやってきたから・・・
 だから、お骨に向かって『パパ、どうよ、参ったか!』って言ってやったわよ。(笑)」

本当に叔父は生き切ったんだと思う。
そして叔母もよく頑張ったと思う。
本当に本当にお疲れさまでした。

「納骨まではおじさんもここにいるから、それまでに一度いらっしゃいね。」

最後に叔母はこう言って、電話を切った。
また行くからね、叔母さん!

 

私は二人の言葉を思い出す。
私の結婚話が進んでいた頃に、「結婚」について二人が言った言葉だ。

叔父曰く 「恋愛時代は向き合ってても、結婚とは二人が同じ方向を向くことだ。」 
叔母曰く 「結婚ていうのは、狸と狐の化かし合いよ!^^v」 と。

狸がいなくなったあとの狐はどう生きるのか・・・
時々は遊びに行って、観察して見守っていこうと思う。。。
  
 


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